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崔洋一「犬、走る DOG RACE」_世紀末、歌舞伎町に生きる怠惰なふたり。

井筒和幸が8年ぶりの新作を公開する、と風の噂に聴いた。

「久しぶりだね」の一言。
ゼロ年代までが彼の黄金期。私が中坊だった頃、彼の作品である「パッチギ!」「ゲロッパ!」を話題となっていたものだ。いつのまにか干されてしまったようだが。

翻って。2009年の「カムイ外伝」以降、ずっと干されっぱなしの崔洋一の行方が心配だ。…いや、干されたつながり(&角川映画でメジャーに躍り出たという共通項)で想起しただけなのだが。


真面目な話、崔洋一ってどんな監督?

崔洋一。
この人の作風を見ると、(井筒監督同様)10年代には決して受け入れられないであろう猥雑さが根底にあると、感じられる。
すなわち、「友よ、静かに瞑れ」では米軍統治下の沖縄で、「血と骨」では敗戦直後の大阪で、「日本であって、日本ではない何処か」で日本に生きる人間が普段仕草やお辞儀の中に封じ込めている暴力性をけろりと噴出させる。そう言う話を描くのが、うまい。決して暴力賛歌ではなくと同時に気怠い雰囲気を漂わせるのも、ミソだ。

だからこそ90年代、崔洋一は時代と寝ることができた。「月はどっちに出ている」はじめ彼が最高に輝いていた時代だった(ようだ)

なぜならこの時代、バブル崩壊後の未曾有の大不況下、大人の男たちは自信をなくしていたからだ。
それまで仕事一筋コツコツやってきた、それが美徳とされた時代が一気にひっくりかえされた。
俺は悪くない、社会が悪い。男たちは苛ついていた。
そんな彼らの鬱憤を晴らすように、欲望のままに暴力をふるい続け、肉欲に耽り、暴飲暴食を重ねる男たち(ときに女たち)を主役としたドラマやVシネマが連打された。
もちろん、70年代もこの手のドラマが流行った。
しかし「ヤクザ映画」という「ジャンル」によって差別化されることで
「これは一般の人間とは違うんですよ、ふつう人間ってやさしい生き物ですよね」と異化されてたそれは、
90年代、ごく普通の男たちが社会常識の仮面をかなぐり捨て欲望のままに突っ走るアウトローと化したことで、
「人間の本性はこれだ!暴力だ!」とばかりに異化されないまま、再生される。

それが「GONIN」であり「いつかギラギラする日」であり、1998年に崔洋一が自信を持って送り出した本作である。
男たちがのたうつように暴れまわり死んでいくことが、許されていた時代。
いま、世紀末が、精神の退廃が、蘇る。

※あらすじは下記参照。

何かいいことないかオジちゃん2人。

上記のあらすじを見ると怒涛のような展開に見えるが、基本、のんびりだらりとした構成。なので、スリルとかサスペンスといったものを期待すると肩すかしをくう。
ゆったりしたドラマだからこそ、主役二人の強烈な個性に注目してほしい。

歌舞伎町にパラサイトしているはみだし刑事二人、先輩:岸谷五朗と後輩:香川照之が、西に東に走り回る。
同類(つまり人間のクズ)である自分たちのことは棚に上げて、歌舞伎町に不法滞在している外国人を検挙したり、殴ったり、女なら抱いたりする。
仇を討ちたいとか、愛するものを守りたいとか、たいそれた望みは抱いていない。何も考えず、楽しくおかしく日々をつなぎたいだけだ。
あくせくすること、不快に感じることは、絶対にイヤなのだ。

二人とも日々に飽きている。
常に「何か楽しいことはないか」と目をぎょろつかせている。

だから、「それ自体の怖さを知るための経験」と称して、売人から押収したクスリを先輩後輩ふたりで一緒に便所内で打ったりする。
(そのままタミフルって、また別の売人を標的にしていじめ抜く)

だから、逆上して歯向かってきた不法滞在者をバイクで撥ねたりする。
(撥ねられた男は「日本人のバカヤロウ!」と絶叫して、宙を舞って、体をコンクリにしたたかに打ちつけて、死ぬ。)

だから、先輩後輩男ふたりで、当時流行りのプリクラを撮ったりする。


つまりは、行き当たりばったりな行動を繰り返す、メチャクチャなふたり。
「全員死刑!」

とネット厨房な根暗で卑屈で軽いノリで、ありとあらゆる非道を行う。
しまいにゃ、やくざの事務所にカチコむ。(そして見事なしっぺ返しを受ける。)

思わず目を瞑りたくなる、やりすぎなくらい、ぎらぎらした男二人の生き様。
今だったら許されない、しかし、世紀末の新宿歌舞伎町では許されていたのだ。
20年前でこうも時代が変わったのか、と感じることのできる「どぎつい」映画だ。

つまり・・・どういうこと?

喰う、寝る、生きる。
滑稽で危険な映画

公開当時の惹句より引用

こんな、映画だ。


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