見出し画像

不愉快な言葉より、キザな言葉を!日活アクションの粋な世界、その極致「紅の拳銃」。

顔突き合わせれば、とかく不愉快な言葉で互いに傷つけ合う今日。
不愉快なコトバから逃避して、昔の映画を見ようじゃないか。
陽性で、朗らかで、らんらんらんな言葉のキャッチボールを味わえる。
そういう台詞回しが通用するのは、ファンタジーの世界以外にあり得ない。
高度経済成長期ニッポンを風靡した日活アクションが、まさにこの世界だ。

ひとことで日活アクションといっても、ふたつのベクトルがある。
ひとつは、「日活銀座」と呼ばれ全盛時代には名物だった(日活調布撮影所内の)広大な銀座のオープンセットをフルに活用した、都会アクションもの。
そこで、小林旭演じるキッチン・ジローの次郎長が江戸っ子なまりで大暴れしたり、小林旭演じる旋風児(マイトガイ)が戦中の悪事を暴き出したり、「飛んで埼玉」よろしく国籍不明、非歴史的、非現実的、何かがオカシイ架空の「銀座」が描かれた。

もうひとつが、ハリウッド製西部劇に登場するような町を、しかしひと回りこじんまりとしたセットで、サルーンや床屋の看板にはご丁寧にも日本語で店の名を書かれているようなフロンティアの町を舞台に、カウボーイ・ハットの日本人が馬に跨り銃を持って悪者を追う、小林旭演じる渡り鳥、その他の物語。

御伽噺なのだから、台詞回しに現実感がないのが、当然だ。逆に言えば、とかく不愉快な(この頃さらに、不愉快な)言葉の洪水の中に生きる現代人にとって、彼らの台詞回しから、束の間、ささやかな幸福感を感じられるのだ。
のちの香港ノワールにも影響を与えた男のキザったらしさ、カッコよさ。

じっさい、香港では日本映画、特に日活アクションや時代劇は人気があり、1960年代には日活アクションのスタッフが香港に招かれて映画撮影の技術を伝えたり実際に映画を撮影したりされてきたのだ。その技術の延長線上にカンフー映画や香港ノワールが存在する。


前置きが長くなったが
そのキザったらしさの極致にあるのが、本作「紅の拳銃」だろう。
この映画は、とあるやくざの幹部でこけた頰した、ベレー帽が素敵な石岡が

また殺し屋の話ですか、勘弁してくださいよ。
殺し屋なんて実際にはいやあしないんですから。
だいたいニッポンじゃあ殺し屋商売が成り立つわけがないですよ。

と「こちらを向いて」日活アクションの荒唐無稽さを否定する様な言葉を一気に吐き出す。いいわけがましく、ボスから目を背けて喋っている。

ボスは、石岡にコルト45(M1911)を投げ渡すや

理屈はわかるが、俺はフリーの殺し屋が必要なんだ
いなかったらお前が作るんだな。

などと命令するのである。(なお、ここでボスが思い出す「2年前にいた腕が立ったやつ」というのが、のちの伏線になっている)

仕方ないので石岡は、行きつけのバーで物思いにふける。

そうだ、ろくでなしを探すんだ。 どうでもいい野郎を見つけるんだ。
俺が食うためだ、飲むためだ。

そこで偶然にも「イイろくでなしの目をした」逸材を見つける。
バーの片隅で飲んでいた、この不敵な男、金がかかるからどうやって外にでようか考えあぐねていた男に石岡は、声をかける。
そして、このニヒルな男、あっさり殺し屋を引き受けちゃうのである。

クラブ「銀の城」片隅に坐っていた石岡は、酒をあおっているニヒルな男を見て、“俺が探していたのはこの男だ”とつぶやいた。石岡はかつて射撃の名手だったが、戦争で右腕を失ってからは悪の世界に飛び込み、命知らずの男を殺し屋に仕立ててボスに売りこんでいた。殺し屋になることをあっさり引受けた中田(赤木圭一郎)は、女給の千加子を襲ったギャングを殴り倒し、その後も射撃の腕に磨きをかけていくのだった…。

スタッフ
監督 牛原陽一
脚本 松浦健郎
音楽 小杉太一郎 
原作 田村泰次郎(“群狼の街”より、講談倶楽部連載) 撮影 姫田真佐久 
照明 岩木保夫 録音 沼倉範夫 美術 木村威夫 編集 辻井正則
キャスト
中田克巳=赤木圭一郎 牧野千加子=白木マリ 石岡菊代=笹森礼子/小寺久=芦田伸介 キム=藤村有弘 石岡国四郎=垂水悟郎 劉徳源=小沢栄太郎/陳万昌=小沢昭一 長山美津=吉行和子 陳大隆=草薙幸二郎 テツ=深江章喜 八十島博士=浜村純/ゲン=野呂圭介 劉の乾分=長弘 殺し屋・中島=中台祥浩 ブン=矢頭健男 陳の乾分=伊豆見雄 陳の乾分=宮原徳平 東京の大学病院医師=鴨田喜由/陳の乾分=水木京二 銀の城ボーイ=林茂朗 石丘伸吾 陳の乾分=古田祥 陳の乾分=立川博 劉の乾分=菊田一郎 劉の乾分=本目雅昭 劉の乾分=河瀬正敏/神戸の大学病院看護婦=鈴木俊子 漆沢政子 守屋徹 劉の乾分=佐藤圭司 ファミリークラブ・ダンシングチーム 
振付=天宮輝 技斗=高瀬将敏

日活公式サイトから引用

逸材:中田を演じたのが、赤木圭一郎。甘いマスクとスタイルも抜群で当時 、和製ジェームス ・ディーンと呼ばれたほど。歌声は無駄に渋い。
彼の発する台詞の数々、どれもさりげなく、粋で、カッコいい。おおよそ日本人らしい情念やカルマを感じさせない、50年前の俳優とは思えない飄々さがある。

例えば、石岡と契約を結んだ直後、「助けてください」と乞うてきたので一緒に脱出して辿り着いた、訳ありのマダム、牧野の家。
彼女に「あなたはやくざなの?」と中田は問われて

もっと悪いやつかもしれないぜ。

もっといてほしいと言われると

今日は帰らしてもらうよ、いくところがないわけでもない

と、徹底してクールなのだ。 牧野の上手なナキオトシも、彼に通じはしない。

上のシーンの後、中田は石岡宅にご厄介し、石岡兄にコルトの使い方を乞う。
石岡には妹がいる:高校生の時から目が見えない病気にかかっている。
一緒に通った病院では「神戸で治療を受ければ治る」との見立て。
帰り道、石岡妹に「わたし、きれい?」と尋ねられる。 
間髪おかず

きれいだよ。

とささやく、優しい男。 言葉によけいなデコレーションは要らない。


この辺りの掛け合いも軽妙で楽しいが、注目して欲しいのは素の演技だ。
本作を主演した赤木圭一郎は、死の直前には、裕次郎を超えるのはもう時間の問題と言われた、リアル逸材
逸材が逸材な理由は、演技というものを感じさせないところだろう。監督が撮ろうとする絵 以外のさり気ないシーン、ナチュラルなシーンに、赤木のカッコよさが浮かび上がる。
ソファに腰掛けるところとか、プッと吹き出すところとか、あくびをしながら喋るところとか、コーヒーを飲みつつけのびするところとか、ケーキを頬張るところとか、石岡兄とカレーを作るところとか、石岡妹と良い仲になっていくところとか、もちろん拳銃を構えるところとか、すべてが「出来る男」なのだ。
そのデキル男を引き立てる、シネマスコープの横長を活かした構図に注目!
ただし、石岡兄の言う「昔の相棒」がかつて所有していたワルサーP38を持ち出した時だけ、目つきが変わる。


そんなユーモラスなドラマも、シリアスな局面を迎える。
結局、殺しのターゲット:牧野の命を奪えず、一緒に逃避行を図ったことから、石岡兄妹も巻き込んで、二つのヤクザに包囲される、のっぴきならない事態に巻き込まれる。
逃避行の途上で、六甲山の上で石岡兄にことの真相を問い質すシーン、それまでの表情がきっと変わる。

尚も情勢は好転せず、アジトで2つのやくざに挟み撃ちにされる、
ハンズアップ? いや。

親切にありがとう、しかし弾は十分すぎるくらいに残っている。

そして畢竟敵を一発の銃弾で討つのだ、決まってる!

ネタバレしてしまえば、実は田中は特命刑事。警官隊が乗り込んで、ふたつのヤクザは共にお縄を頂戴だ。


さて手術が無事成功した石岡兄妹は、帰途につく。同じ列車に偶然田中も乗り合わせている。
田中は特命を帯びた刑事。明日も知れぬ命のかかった仕事、声をかけたい気持ちを抑える。ぐっと耐えて、口をへに結ぶのだ。
狭い車内の通路を揺られながら石岡妹が歩いてくる、田中はそれに気付いて目を伏せる、車両入口脇に突っ立っている田中を訝しむが、しかし深入りすることなく、石岡妹は通り過ぎていく。(ここの目線の動かし方が素晴らしい)

田中の心の声が聞こえる:

いつか言えるさ、君が好きだって。

「街の灯」のいただきなのは確か。
だが、洒落ているのは、彼の逸材ぶりのなせる技だろう。


いいなと思ったら応援しよう!

ドント・ウォーリー
この映画の話は面白かったでしょうか?気に入っていただけた場合はぜひ「スキ」をお願いします!

この記事が参加している募集