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“自分の身は自分で守る必要がある、かもしれないじゃないか。”_”Death Wish”(1974)

「狼よさらば」が伝えんとしたことはシンプルだ。
最初は恐る恐る銃に触れていた男が、次第に銃を撃つことに、己の中の殺戮衝動に酔っていく。
ラスト、血の味覚えたオオカミの、はにかむ笑顔が忘れられない。

ストーリー

開発技師のカージーは、美しい妻子と共に幸せに暮らしていた。ある日、妻と娘がチンピラ3人に暴行され、妻は殺され、娘はレイプのショックで廃人同然になってしまう。突然の不幸に呆然とするカージーは、悲しみに暮れながらも、気丈に仕事に没頭していた。そんな中、仲間に射撃場に誘われ、仕事がうまくいったお礼にと拳銃をプレゼントされたカージーは、夜の街を徘徊し、わざと強盗に襲われては容赦なく射殺していく影の死刑執行人“アマチュア刑事”として世間を賑わし始める・・・。
スタッフ
監督:マイケル・ウィナー
脚本:ウェンデル・メイズ
撮影:アーサー・オーニッツ
音楽:ハービー・ハンコック
キャスト
カージー:チャールズ・ブロンソン(大塚周夫)
オチョア警視:ビンセント・ガーデニア(田中明夫)
ジョアンナ:ホープ・ラング(中西妙子)
ジャック:スティーブン・キーツ(徳丸 完)

ソニー・ピクチャーズ  公式サイトから引用

カージーは正義ではない。むしろ後半は限りなく殺人狂になっている。しかし、冒頭でカージーの家族が賊に襲われる場面と、地下鉄で胸の痛みや恐怖を感じつつトリガーを引く場面を見せつけられた以上、観客はカージーに共鳴せざる得ない。
だからこそ、堕ちていくことへの悲哀、苦悶が、チャールズ・ブロンソンの顔の皺に刻み込まれている様に、感じられるのだ。

さて、引用は、「まだ感情と理性の間で揺らいでいた」カージーと、友人ジャックの間の台詞から。

Paul Kersey: Nothing to do but cut and run, huh? What else? What about the old American social custom of self-defense? If the police don't defense us, maybe we ought to do it ourselves.
Jack Toby: We're not pioneers anymore, Dad.
Paul Kersey: What are we, Jack?
Jack Toby: What do you mean?
Paul Kersey: I mean, if we're not pioneers, what have we become? What do you call people who, when they're faced with a condition or fear, do nothing about it, they just run and hide?
Jack Toby: Civilized?
Paul Kersey: No.
  • cut and run
    〔敵が来襲した時などに船が〕錨鎖を切って急いで出帆する
    急いで[慌てて]出発する[逃げる]

  • pioneer
    先駆者、開拓者

  • ought to 
    軽い義務や提案、アドバイス。shouldよりも、少しかたい感じ。

  • not ~ any more
    もう~ない、これ以上~ない

カージーはまず、maybe とought to を重ねて、「かもしれない」と慎重に己の主張を展開させる。
その主張にやんわりとNOを出した友人に対して、civilized(文明人)とpioneer(開拓者)、この二つの語を対置させ、「pioneer」の精神は今も息づいているはず、と強調する。
なかなか上手い台詞のように、思う。

カージー:急いで逃げる他ないと?他に何かやれることはないのか?伝統あるアメリカの社会的習慣、セルフ・ディフェンスは?警察が守ってくれないなら、我々の手でやる必要があるかもしれないじゃないか。
ジャック:一般市民はもう開拓者ではないのだよ。
カージー:我々はどうだろうか?
ジャック:どう言う意味だ?
カージー:つまり、もし開拓者ではないのであれば、我々は何になり得るだろうか?困難や恐怖に直面した時、それに対して何もし得ず、逃げたり隠れたりする他ないヒトビトを、なんと呼べばいいのだ?
ジャック:文明人 と言えばいいのでは?
カージー:違うだろう・・・。


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ドント・ウォーリー
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