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野球ってなあに?答えは「ダイナマイトどんどん」。
戦前まで、日本では、野球は「学生の趣味」であるとの考えが一般的だった。
日本での野球熱が大人の間でも高まったのは、戦後のGHQの政策のおかげ。全国に野球文化の新しい波が押し寄せた。
本作は、よりにもよって野球の「や」の字も知らない 「や」の字のつく人種た
ちが、訳もわからぬまま野球に挑んだ、そんな微笑ましい時代を描いたコメディだ。監督・岡本喜八×主演・菅原文太 の異色の顔合わせ。
昭和25年、九州小倉では昔かたぎの岡源組と新興ヤクザの橋伝組が縄張りをめぐってしのぎをけずっていた。このヤクザの抗争に業を煮やした警察はGHQの勧めもあって野球の試合で決着をつけることにした。ルールも守らぬ荒くれヤクザどものこと、凄まじい喧嘩野球に発展して・・・。
【スタッフ】
監督: 岡本喜八、脚本: 井手雅人・古田求、原案 「新遊侠伝」より: 火野葦平
総指揮: 徳間康快、撮影: 村井博、美術: 竹中和雄、録音: 田中信行、
照明: 今泉千仭、音楽: 佐藤勝
【キャスト】
菅原文太、宮下順子、北大路欣也、嵐寛寿郎、金子信雄、岸田森、中谷一郎、
フランキー堺、小島秀哉、石橋正次
角川映画公式サイトより引用
ごちゃごちゃ言わんと、誰が一番強いか決めりゃええんや。
『今やかの 三つのベースに 人満ちて そぞろに胸の 打ち騒ぐかな』
とは正岡子規の名句だが、小倉の男たちが胸焦がすのは、喧嘩だけだ。
昭和25年、終戦直後、米軍占領下の北九州・小倉。
近代やくざの祖・吉田磯吉の代より、ここの男たちはオレがオレと自己主張にうるさく、常にあらっぽい。暇さえあればやることといえば、目の前の奴を打ち負かすためのケンカだ。かくして組間の抗争は、ダイナマイトをぶっ放し、旧陸軍から流れた銃火器を互いに持ち出すほど、血生臭く、エスカレートする。
これを平和裡を解決するため、民主主義のおまわりさんは提案する。
組同士の対抗野球大会を開いて、1番強いやつを決める、
それで手打ちしましょう、と。
かび臭い昔気質の男たちの中に、急に新しい文化の風が吹き込んで来る。
これが「瀬戸内野球少年団」だったら、野球はアメリカと民主主義の夢。少年少女たちの純粋な心に強い印象と衝動を与え、彼らの生き方にたくましさとしたたかさ、というものを与えただろう。
しかし、残念ながら。この小倉の地で風を受けたのは、すでに狡いほどたくましくしたたかな大人たちだ。彼らに変化は与えられない。野球はただの道具、代理戦争もとい抗争の道具に使われるのみ、だ。
野球はタマの奪り合いだど、言っただろが!
『球戯を観る者は 球を観るべし』とは正岡子規の名言だが、
背番号を付けたやくざたちが凝視するのは、タマはタマでも互いの魂のみ。
似合わないユニフォームに着替えて、しぶしぶ練習し、いやいや試合に臨むやくざたち。しかし、野球のイロハを学んでいくうち、彼らは真実にたどり着く。
野球もやはりヒットの道具だ。普段手に馴染むチャカやドスが、白球とバット、グローブに持ち替えられただけのこと。
かくして男たちはしのぎにしのぎ、点の取り合いに励む。
相手に勝ちたい、その気持ちが昂じるうちに、勝つための手段は、ビーンボールだの尖らせたスパイクだの、退場上等のハードコアマッチに発展する。すなわち、彼らの心意気は(公開当時の惹句が言い表す通り)
ひとり残らずデッドボールでブチ殺しチやれ!
一球入魂の精神へと転じる。だから最後に辿り着くのは、スポーツマンシップ何それ食えるの?な「ただの乱闘」だ。
乱闘(という名の抗争)を犯した罰として、男たちは皆「野球の本場、アメリカ」の植民地、沖縄に送られる。よこを見れば、敵の組もいっしょ。これで思う存分、野球ができるってものだ。彼らははしゃぎまわる。
恥も外聞もなく、大の大人たちが野球に魂をからみとられる姿。
それは青春?何それおいしいの? な殺伐とした世界。
滑稽に、おかしく切り取った、佳作だ。
※各種配信サイトで配信中!
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