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些細なすれ違いから炎上する。スパイク・リーが「ドゥ・ザ・ライト・シング」を撮った訳。

2018年に「ブラック・クランズマン」を全米公開し
同年の第71回カンヌ国際映画祭や第91回アカデミー賞を賑わした
スパイク・リー監督の映画は、とにかく消費カロリーが凄まじい。
マルコムXとかKKK団とか、ラディカルなテーマばかり取り上げる。
登場人物が自身の憎しみや怒りを躊躇うことなく発散する。
その一方で、演出は正攻法で冷静。ここがミソ。
だから、時に清々しさすら感じさせる程の、透明感が存在する。

ここでいう正攻法とは?
それを彼の初期作「ドゥ・ザ・ライト・シング」から解きほぐしたいと思う。
舞台はブルックリン。真夏のいちばん暑い日の出来事が、最後、暴動・炎上騒ぎをまねく一部始終を描いた傑作だ。

ブルックリンのアフリカ系アメリカ人居住区にくらすムーキーは、イタリア系のサルが経営するピザ屋で宅配の仕事をしている。ある日、ムーキーの友人であるバギン・アウトが来店、だが彼は、店の壁にイタリア系有名人の写真ばかり飾っているという理不尽なクレームのために、店を追い出されてしまう・・・。
スタッフ
製作・脚本・監督:スパイク・リー
キャスト
サル:ダニー・アイエロ
メイヤー:オジー・デイヴィス
ムーキー:スパイク・リー
ほか
NBCユニバーサル 公式サイトから引用

「自分だけが正しい」と思うから、頑なになり、憎悪が起こる。

ブルックリンとある街角。ここには老若男女、いろんな人種が住んでいる。
イタリア系アメリカ人サルが経営するピザ屋には、人種を問わず、住民誰もが一度はお世話になる。ずばり、それなりの値段なのに美味しく量があるからだ。

この店に勤めて、ピザの配達やら細々したことをしているのが
本作の監督=主役=つまり狂言回しで口八丁でお調子者のムーキー

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常に重いラジカセを手に持って、爆重音で弱気な自分を奮い立たせるラヒーム
(両手には「LOVE」と「HATE」のリングを着けている)

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そして、クソ暑い夏でもカマドに火を絶やさず、汗を滝の様にかきながら自らピザを焼いている真面目な店主がサルだ。

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サルは、この街で商売をはじめ 、子供たちを育てた。昔はイタリア人の仲間も近所にたくさんいたが、黒人の住民が増えていくにつれて、みな徐々にこの街を離れていった。
彼の長男ヴィトは、ここは黒人の街だ、出ていこう、と不満を言う。しかしサルは、裸一貫で移り住み、所帯を持ち、子供を育てたこの街が好きなのだ。自分が真心込めてこしらえたピザを食べて育った住人たちのことも。愛する気持ちは、彼の長台詞からも、よくわかる。

Sal: I never had no trouble with these people. I sat in this window. I watched these little kids get old. And I seen the old people get older. Yeah, sure, some of them don't like us, but most of them do. I mean, for Christ's sake, Pino, they grew up on my food. On my food. And I'm very proud of that. Oh, you may think It's funny, but I'm very proud of that. Look, what I'm trying to say, son, is, uh... Sal's Famous Pizzeria is here to stay. I'm sorry. I'm your father, and I love you, I'm sorry but... but that's the way it is.

IMDBより引用

むしろ、ヴィトが黒人を毛嫌いするのを注意する。商売柄とはいえ、できすぎたオヤジだ。

マジョリティである黒人たちも喧嘩をしたい訳じゃない。同様に、サル一家と(そして最近越してきたまた別の人種の一家と)仲良くやっていこうと、思っている。

だが、考えていることは微妙に違う。各自が「Do the right thing」つまり「これをやられては許せない」という領域を持っている。危ういパワーバランスの上に、この街の平和は成り立っている。ひねくれ者のオスカーすら仲良くおさまるセサミストリートとは、違う。
ある日、ささいなことで口論が起こる。折からの酷暑も悪かった:精神が昂って、ほぼいちゃもんに近い形で、それぞれの「許せない」思いが広がり、路地裏の会話から根も葉もない噂と共に伝染し、不満は拡大する。
みんな、どんどんおかしくなっていく。どんどん不機嫌になっていく。
ラジオDJ(演じるはニック・フューリー=サミュエル・J・ジャクソン)が「みんな冷静になろうぜ」と呼びかけるのも虚しく、事態はどんどん悪化していく。

要は、この映画の強い軸になっているのは「立場の異なるものの言い争い」だ。
ここで、監督が演劇から学んだであろう演出力が、光る。
黒人英語と白人英語の使い分けの緻密さ。自分に向けて、あるいは他人に向けて、タブーや差別用語を口に出すことを、恐れないストレートさ。
陰口たたかずまっすぐに、自分の気に入らないことを、言っている。
だから、スラングが頻出しても、下品な感じにならない。

そして、時に沈黙が雄弁になる。


ともかく、ささいなきっかけで火がつく。消せなくなるほど、火の手が広がる。
起こるべくして起こる不穏の予感。
そしてクライマックス。 
サルが、ムーキーが、ラヒームが、ヴィトが
一ヶ所=サルの店に集い、癇癪を爆発させ、ブチギレ、言い争い、
いつしかそれは黒人と白人の過激な闘争の図式となり、警官が発砲し、それを引き金に暴動が起こる。
(よりにもよって最後の油を注ぐのが、C調の主人公:ムーキーだ。)


暴動から一夜明けて。自分の店は完全廃墟化、途方に暮れるサル。
「まったく、ひどいもんだぜ。」とひと事のようにムーキーは
店ぶっ潰されて意気消沈(当然!)のサルの元に、給料をせがみに来る。
ここで初めて、サルは、くしゃくしゃにした紙幣をムーキーに投げつけると共に、「きれいごと」の中に今まで覆い隠していた本心を、ぶちまける。

Sal: The fuck is wrong with you? This ain't about money. I could give a fuck about money. You see this fucking place? I built this fucking place with my bare fucking hands. Every light socket, every piece of tile - me, with these fucking hands.

IMDBより引用

我慢してやってきたんだぞ、それをぶち壊しにしやがって、というサルの怒り。
ムーキーは、「ふーん、それで?」という態度。
ムーキーとサルの気持ちは、交わらずに、映画は終わってしまう。和解はない。

本記事中の全画像は、Criterion公式サイトから引用しました

本作についての解説は、スパイク・リーの言葉を借りた方が早いだろう。
なぜ、「ドゥ・ザ・ライト・シング」を作ったのか。


スパイク・リーが「ドゥ・ザ・ライト・シング」を撮った訳。


現在、動画配信サービスApple TV+で公開中のドキュメンタリー「親愛なる…(Dear...)」エピソード1で取り上げられているのが、スパイク・リーだ。
彼が自分のフィルモグラフィを自ら語るパート、彼の作品に影響を受けた人たちがリー宛に「手紙」を読み上げるパート、二つが交互して進む。
「She's Gotta Have It 」「スクール・デイズ」の後に「ドゥ・ザ・ライト・シング」が取り上げられる。

Everybody knows that when it gets hot, I mean, things will jump off.
Traffic, eight million people on top of each other.
So, the goal was to do a film that takes place in one day.
And as the temperature goes up, things escalate into a riot.


果たして全米公開時、大手マスコミは騒ぎたてた。「暴動を誘発する」と。
これに対して、「当時の」スパイク・リーはTV番組のインタビューに答える。
「感じる」のではなく「考えて欲しい」 という警句を放って。

I really dont tell audiences what to feel.
I want them to think.
I want them to think about the serious issue of race relations, racism in this country today.

続いて、「現在の」スパイク・リーは、こう語る。

The goal of the film was to give people some insight, and at that time, in New York City, a lot of race stuff going on. It was very tense time.

製作当時のニューヨークでは、警官による黒人射殺事件が起こっていた。
そして本作公開の3年後、1992年4月に、黒人だけではない様々な人種を巻き込んで「ロサンゼルス暴動」が起こっている。

本作について、彼は最後こう締めくくる。「いまも、意義を失わない」と。

The stuff I wrote in ‘88 is still relevant today.
In that script, Im talking about gentrification, police brutality. The film is still relevant today.

スパイク・リーの言葉は、ワンフレーズ・ワンメッセージ、強い言霊を持っている。鋭い眼差しと共に、問いかけてくる。彼の映画同様、こう突きつけているのだ、「君たちはどう考える?」と。



本エピソードはこの後、「マルコムX」「ブラック・クランズマン」
そして、彼自身のプロダクションである「40エーカー・アンド・ア・ミュール・フィルムワークス」創立から始まる後進の育成に対する取り組み等、内容が盛り沢山だ。また、場を変えて紹介したい。


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ドント・ウォーリー
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