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映画「父 パードレ・パドローネ」ことばをめぐる、力強くて揺さぶられる物語。

この映画は1977年の第30回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞している。

20世紀後半、タヴィアーニ兄弟はひとつのスタイルで国内外を魅了した、それは

「この兄弟監督の作品は、映像も素晴らしいし、難しい原作を土台にしている知的さに加え、深遠な地の底からゆさぶられる物凄さがあるよね。兄弟で力を合わせると、幅も深さも出るのかとうらやましく思うね。」

「黒澤明が選んだ100本の映画」 (文春新書) 168ページより引用

との黒澤明の言葉に象徴されるように、
どこか遠くのところで霊的なものとつながりつつ、自然体で生きる人々。
そんあ「彼ら」を讃える寓話だ。

伝説や説話、古典文学などに題材をとって
純粋に大いなるものを慈しみ愛する心を、画面いっぱいにはためかせた。

言葉じゃ伝えきれないものが絶対にあることを、信じ抜いている。
だから、誰も声を荒げず、淡々としているけれど、映像美学に揺さぶられる。

大いなるもの、その対象には、自然や神様だけじゃなく、「父」も含まれる。
大いなるものとしての「父」を描いたのが、本作だ。

※あらすじ・スタッフ・キャストは以下の通り↓


描かれるのは、サルデーニャ州の山間の寒村に生きる父(演:オメロ・アントヌッティ)と息子(演:ナンニ・モレッティ)の間で、静かに繰り広げられる生活のドラマだ。

羊飼いの父親は、無学で、言葉を知らない。
学問など、代々親から子へと継がれてきた生業には必要ないからだ。
そんな無駄なことを覚える前に、羊の容体、天気の行方、感じられるようになれ、分かるようになれ。
つまり「風の音、水の音に耳をすませ」それが父の口癖だ。

息子は小学校を数週間だけで退学させられ、一人前の羊飼いとなるために、父と行動をともにすることとなる。
しかし、ある日、突然、父の手で、羊の群れとともに一人、荒野に取り残される。突き放される。
息子は、とうてい言葉にすることのできない不安と孤独の真っ只中に置かれる。
それは「羊飼いの技」、つまり男として生きる道を理解させるための父の術(これもまた、代々受け継がれてきた「試練」。)
「ライオンは子供を自立させる為に崖から突き落とす」喩えの通りだ。

もちろん父とて、子を思う愛ゆえに、不安だ。
しかしそんな弱みは息子にはもちろん、家族の誰にも見せない。
黙って一人で全てを背負うしかない。
言葉にできない、二重の厳しさがある。

20歳になるまで一切の教育を受ける機会を奪われた息子は、
しかし、成人して軍隊に入り、そこで初めて読み書きを覚える。
言葉を知ってしまっては、風や水の音に耳澄ます羊飼いのままではいられない。
一度は村に戻った息子は、やはり父と諍いになり、村を飛び出し、
やがて言語学者となる。父の望みに反することだが。

1977年の作品だというのに、古さを全く感じさせないのは
(もちろん、カラーで撮影されているのもあるだろうが、それ以上に)
人間の普遍的な哲理を、描いているからだろう。
愛憎というには激しすぎる。親愛というには甘すぎる。
時に荒々しく時に優しい、切ってもきれぬ親子の血の絆を、永遠の人間哲学として、フィルムに焼き付けている。

だから、揺さぶられるのだ。

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