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地球という揺りかごに揺られて、悠久の旅を。それが「ボヤージュ・オブ・タイム」。
現在、最新作「名もなき生涯」が公開されているテレンス ・マリック。
アメリカだとアメリカン・ニューシネマの世代に括られるそうで、じっさいデビューは1973年監督の「地獄の逃避行」。
以降、美しい映像と、ボイスオーバー多用による主観的な語り。
この二つの強い表現の組み合わせ:同じ文法だけを使って映画を撮ってきた。だから、アート系作家の中でも一、二を争うアクの強さ。
そんな人間が「分かりやすく複雑な物事を解きほぐす」を由とするドキュメンタリー映画をとったらどうなるか。ここに意味を見出そうと考えれば考えるほど訳がわからなくなる。非難轟々、だがこの独りよがり、わがままが私は大好きだ。
「ツリー・オブ・ライフ」「シン・レッド・ライン」の巨匠テレンス・マリック監督が、宇宙のはじまりと生命の歩みを圧倒的な映像美で描き出したドキュメンタリー。マリック監督が40年に渡って取り組んできたライフワークの集大成といえる作品で、ビッグバンから生命の誕生、現在までの歩みを映像で辿り、生命の本質と人類の未来を探求する。「マトリックス リローデッド」などのダン・グラス率いる視覚効果アーティストチームと科学アドバイザーチームのコラボレーションにより、地球上と天空の自然現象やマクロとミクロの世界が革新的な方法で表現される。「ツリー・オブ・ライフ」でマリック監督と組んだブラッド・ピットが製作に名を連ね、オスカー女優ケイト・ブランシェットがナレーションを担当。
【スタッフ】
監督、脚本テレンス・マリック
撮影ポール・アトキンス
編集レーマン・アリ、キース・フラース
ナレーション ケイト・ブランシェット
引用元:映画.com 作品情報
それは壮大な夢、悠久への旅。
『イントレランス』。 これは時代物、紀元前何年の頃、今、そしてフランスの時代、いろんな時代を四つか五つとか、ずーっと観せたんですね。 で、これを観た時、私は十才でしたけど、何だかよくわからなかったのね。けど考えたら、見事なつくり方ですね、いかにもアメリカ式ですね。 今日の時代がある思うとバビロン時代がある、バビロン時代があると、フランスの時代がある、そういう映画だったんです。
IVC公式サイト 淀川長治世界クラシック名画選集 「イントレランス」から引用
それは、壮大な叙事詩。 それは、4つの時代、4つの国で人間の不寛容が起こす血の悲劇。1916年、D・W・グリフィスは、「イントレランス」という、時空をまたぐスケールの大きな物語を産み落とした。
物語の間のつなぎに登場するのが寛容の象徴・聖母マリア。
人の子の乗る、揺り籠を揺らす。
それは、後世に多大な影響を与えた。技法にしても、主題にしても。
複数の時代、複数の視点から、世界を俯瞰するゆりかごのような映画。以降、映画人それぞれが「自分流のイントレランス」を思い立ち、自分の手で産み落とすことを目指す。黒澤明なら「夢」を。テオ・アンゲロプロスなら「旅芸人の記録」を。セルジオ・レオーネなら「ワンスアポンアタイムインアメリカ 」を。
「イントレランス」よりちょうど100年後の2016年、テレンス・マリックはこれを創造した。 「イントレランス」がリリアン・ギッシュ演じる「揺りかご」に入った人間を揺らす女神を軸に据えたとしたら、「ボヤージュ・オブ・タイム」は人間が生きる地球という「揺りかご」そのものを描いている。
考えるのではなく、感じる。感じるのではなく、考える。 映画を見ていくうちに、やがて、この二つが溶け合い、考えることと感じることが一体となる、「この映画は何なのか」言語化できなくなる(マグマのように)。地球という「揺りかご」を詩に乗せて語る、一歩間違えれば陳腐な、しかし天才的な感覚でこれをやり遂げる。
だから、この力作を語るには、やはり、詩人の言葉を借りるしか無いのだろう。
以下、順を追って、本作が「何を描いたか」 引用を交えつつ記したい。
人と海。
海も爾(いまし)もひとしなみ、不思議をつゝむ陰なりや。
人よ、爾が心中の深淵探りしものやある。
海よ、爾が水底の富を数へしものやある。
かくも妬たげに秘事のさはにもあるか、海と人。
シャルル・ボードレール「人と海」 (上田敏訳「海潮音」、青空文庫から引用)
人類は海から生まれてきた。
だから、原始、オルドビス紀からデボン紀まで、大海のスープの中ではじめての生命が生まれ、増殖し、進化を遂げ、アノマロカリス、三葉虫、アンモナイト、魚類、そして陸に上がるまでを、映画は丁寧に追いかける。
この間、地上は生きているものは何も無い、灰色で静寂の世界だ。悠久の平穏が支配する。
かくて劫初(ごうしょ)の昔より、かくて無数の歳月を、
慈悲悔恨の弛(ゆるみ)無く、修羅の戦酣(たけなわ)に、
げにも非命と殺戮と、なじかは、さまで好もしき、
噫、永遠のすまうどよ、噫、怨念のはらからよ。
シャルル・ボードレール「人と海」 (上田敏訳「海潮音」、青空文庫から引用)
その静寂と、現代の地球人の行いとが対比される。暴力、憎悪、迫害、犠牲。パンドラの箱を開けてしまった生命の歓喜の渦を。
この世の終わりは、始まりへ。
終盤近くになってようやく、人類が現れ、そしてあっという間に消えていく。地球数十億年の歴史に比べれば、人類の歴史など、ほんのまばたきのような時間に過ぎない。それを本作は示す。
千万の火粉の光、うちつけに面(おもえて)を照らし、
声黒きわめき、さけびは、妄執の心の矢声。
満身すべて涜聖(とくせい)の言葉に捩ぢれ、
意志あへなくも狂瀾にのまれをはんぬ。
実(げ)に自らを矜(ほこ)りつゝ、将、咀ひぬる、あはれ、人の世。
エミール・ヴェルハーレン「火宅」 (上田敏訳「海潮音」、青空文庫から引用)
やがて、人はいなくなる。
そして更に数十億年の時を経て、地球は赤く膨らんだ太陽に飲み込まれる。
それはすべての終わり、 そしてすべての始まり。 また新たな天体が生まれ、新たな生命が生まれ、永劫に宇宙は続いていく。
地球という揺りかごは、ほんの短な命しか持たない人間を慈しむのだ。だから、本作は人の子らが笑い、遊び、楽しむ、短いショットの連なりで、締められるのだ。そして、劇中何度も繰り返される「MOTHER」の言葉の中に、最後、すべては溶けていくのだ。
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