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色
忘れられない色がある。
よく磨かれた黒板の深緑だ。
たったひとりの教室。
まだ誰の手によっても、ひとつの文字も、一本の線すら描かれていない黒板の前に、ぼくは座っていた。
幼いころから憧れてきたこれが学校か。
これから何人の友だちができるだろうか。
英語はほかの友だちと同じスタートラインに立つから、絶対に負けられないぞ。
数学は九九ぐらいしかできないけど、ちゃんと教えてもらえるかな。
国語はたくさん本を読んでいたから、うまくついていけるだろうな。
理科はどんな勉強をするのか、全然予想がつかないな。
いつもニュースをチェックしていたから、社会は心配ないかな。
体育はいろんな障害の人がいるのに、いっしょにうまくできるのかな。
オシッコとウンコはスケジュールにあわせて、うまく出てくれるかな。
イヤな先生はいないかな。
ずっと子どもの施設で暮らしてきて、日数で言えば半月分程度で小学部を卒業して、ぼくはいきなり中学部へ入学することになった。
十五歳の春だった。
「身辺自立」の壁に阻まれて、ぼくは何度も障害のある子どものためにあるはずの養護学校への入学を諦めさせられてきた。
入学当時、もっとこまごまとした不安をもっていただろう。
それでも、マジメに思い出そうとして、眼の奥で力んでみても、意外なほどに呑気な内容しか文字にすることができない。
はじめに書いた教室の風景も、入学式の朝に変換されてしまっている。
けれど、そんなはずはない。
あの朝、施設でいつも聴いていた中村鋭一のおはようパーソナリティーが、現在の道上洋三さんに交代して最初の放送を聴きながら、自宅から学校へ向かったことをハッキリと憶えている。
ネットで検索しても、ほぼ間違いなかった。
ただ、勉強についていけるかが不安だった。
それよりも、思うようにオシッコとウンコがコントロールできるかが心配だった。
期待といえば、同世代の友だちとのつき合いだった。
ふつうの思春期の男の子の思考回路を独占させる異性については、学校と寄宿舎の毎日が落ち着いてからの展開になった。
幼いころに施設へ入らざるをえなかったことや、あわせて十分に甘えられずに少年期を過ごさなければならなかったことや、身近で働く人たちの影響をモロに受けて早いうちから世の中に疑問を持つようになったこともあって、自分自身の抱える矛盾と葛藤しなければならない思春期だった。
それでも、過去をふり返っていちばん鮮やかな記憶は、養護学校入学のころに出遭った深緑の黒板にほかならない。
たくさんの想いが凝縮されて、たったひとりの教室の風景に生まれ変わったのだろうか。
あの色を思い出せば、心が新しくなる。