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影と陰

 天井を正面に置いて、仰向きになっていた。
夕食のあとにうたた寝をしていて、「いま」へ意識が戻ったばかりだった。
 おそらく天井は合板で、人工的につくられた木目がくっきりと描かれてある。
 頭の中はカラッポだった。
 
 ぼくは子どものころから、ずっと斜視とつき合ってきた。
焦点を集中させることができないから、なんとなく左右のものが視野に入ってしまう。

 空白の横たわっていた意識が、不意に飛び跳ねるように動いた。
一瞬というよりも、すこし間があって体が反応した。
 全身がこわばった。首をすくめた。

 天井を正面に置いた視野のいちばん左端に、黒い影が映った。
何か、生きものの「影」のようで、明らかに朝と夕べにお出ましになる小さなクモやゴキブリとはサイズが違った。
 ぼくは息を止めてしまった。

 首をすくめたまま、おそるおそる顔を「影」の方へむけた。
 そこには、フェイスタオルが無造作に寝そべっていた。
 まるでテントを連想させるように、こちらに空間をつくっていた。

 ちょうど夕飯を食べながら、気心知れたサポーター(ヘルパー)さんと引っ越す前といまのわが家とどちらが冷えるか、そんな話題に盛りあがっていた。
 前の家で、ぼくはベッドの脇の土壁の穴から子ネズミが顔を出した光景を思い出して、内装したばかりで入居した「いま」との違いを実感していた矢先だった。

 ここまで引っ張ってきたけれど、うたた寝の目覚めに息を止めるほど驚いたのは、無造作に置かれたタオルの「陰」をネズミの出没と勘違いした結果だった。
 
 空白が横たわっていたはずの意識には、ぼくと目が合ってすぐに首をひっこめた子ネズミの残像が埋もれていたのだろうか。
 
 それにしても、あのときの子ネズミの目はつぶらだった。
指でもかじられたらヤバイというコワサと、愛らしい表情とのギャップはなんともいえないものだった。
 
 ぼくらしい「ほほえましい出来事」とは、どこか暮らしの匂いの漂うこんなシーンではないだろうか。

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