お米になりたい
こんがりきつね色をしていた。見ているだけで、サクサク感が連想できた。
ぼくは昼ごはんで、一時間前にできあがったばかりの「ほぼ揚げたて」のチキンカツを頬張っていた。
ぼくにとって、揚げもののポイントはなんといっても、歯ざわりのよさに間違いない。
こだわりを貫くために、アッサリと塩でいただく。
これなら、サクサク感を失う心配はない。
ソースをかけすぎると、すぐに頬張らないとベチョベチョになりかねない。
一方、すこぶる体調がよい日は、たっぷりとウスターソースをかけたくなる。
この日はすこし考えてから「たっぷりソース」を選んで、よりおいしくいただくために、ほかのおかずよりも先に白ごはんとチキンカツを交互に食べさせてもらうことにした。
本当に、たっぷりとウスターソースをかけてもらった。
障害のカテゴリーによっては、健康状態にかぎらず「支援者」といわれる人たちが「こんなにかけちゃダメですよ」なんて、止めてしまいたくなるほど、いっぱいかけてもらった。
それにしても、止められる人とぼくとの違いはどこにあるのだろうか。
割りきれない。
はてさて、口に入れようとつままれたチキンカツから、ウスターソースがポタポタと落ちていた。白いごはんの上に。
大きめのひと口だったから、口のまわりもソースだらけになった。
サクサク感を満喫してから、白ごはんを頬張る。
頬張りながら、疑問が湧いた。
「この白ごはん、なつかしいなぁ。なんで、そんな気持ちになるんやろぉ?」
答えはすぐに見つかった。
ポタポタソースが「なつかしさ」を演出してくれていたのだった。
おばあちゃんの「炒めごはん(おばあちゃんはチャーハンをこんなふうに呼んでいた)」は、コショウをきかせた醤油味が定番だったけれど、材料の残りものに豚肉があるときはソース仕立てだった。
定番ではなかったから「やっちゃん、今日の炒めごはんのデキはどうや?」と、感想を聞いてくれた。
ぼくは思う。お米がうらやましいと。
ソース味といえば、福井の名物にはソースかつ丼がある。
リクエストするのがちょっと恥ずかしくて遠ざかっているけれど、ギョウザのタレを白ごはんにかけても、なかなかイケル。
以前にも書いたように、オーソドックスなマヨネーズかけから木綿豆腐をグチャグチャにつぶしてバターと醤油を混ぜたどんぶりまで、お米は世界中のあらゆるものとの相性が抜群なのではないだろうか。
書き忘れていた。
おばあちゃんは、わが家ではシチューと呼ばれていたポトフ風の具だくさんスープをごはんにかけて、とろけるチーズをのせてオーブンで焼いて食べさせてくれた。五十年ほど前のこと。
OLさんが出入りしそうな洋食屋で初めてドリアに出逢ったとき、ぼくはナルシストな気分で、うす笑いを浮かべていた。
「みんな、いまごろコンナン食べて喜んでるんかいなぁ。ボクら、こどものときからコンナンふつうに食べてたわぁ~」
いま、どうしても書き足したくなった。
トムヤムクンをごはんにかけてもウマイ!
フォー入りはどこかで食べた気がするけれど、地元ではタイ米入りもあるのだろうか。
ちなみに、大阪駅にあるエキマルシェのタイ料理の惣菜屋では、一人用のトムヤムクンがワンコイン前後だった。
日曜日の夜のお楽しみで、白ごはんにぶっかけて頬張っていた。
最初は言葉が聴き取ってもらえずに、手間取ったこともあった。
それでも、トムヤムクンの誘惑には耐えられなかった。
通っているうちに、お金の支払いから、レジ袋を背もたれのフックにかけてもらうまで、スムーズにコトが運ぶようになった。
だれかの役に立てると、なんだかうれしくなる。
電動車いすですこし言葉の聴き取りにくいお客さんがくると、どう接してよいかわからないのだろう。
けれど、うまくいくと、おたがいに幸せな気持ちになる。
コロナがやってきて、知らない人にお願いしにくくなった。
これからの世の中の方向づけの一翼を、障害のある人が担っているのかもしれない。
ただし、それは一人ひとりがやりたいことを実現する過程の中でのできごとに寄り添うものではないだろうか。
「一翼を担う」ためにガンバルことは、どこか筋違いな気がしてならない。
どんな文化を持った人たちのメニューにでも、お米は息をあわせてしまう。ぼくは、お米がうらやましい。
お米になぞらえて、ちょっと社会的なニオイのする一行を加えようと思った。でも、説教くさくなるのでやめることにした。
今日はかなりの頻度で、友部さんの唄が文章を書くぼくの背中を押しつづけていた。
「遠来」、「大道芸人」、「中道商店街」、「六月の雨の夜、チルチルミチルは」、「水門」、「夢のカリフォルニア」、「はじめぼくはひとりだった」、「モスラ」、「 一月一日午後一時(高橋さん)」、「ぼくは君を探しに来たんだ」…、本当に感謝です。