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someday my note prince will come

イヤホンが順当に壊れ1ヶ月が経とうとしているが代替のイヤホンはまだ買えていない
イヤホンを頻繁に無くすノートを5-6年前とかに書いたけどこの数年は全然無くしていないしちゃんと毎回壊している
あの頃本当にイヤホンとか高くて洒落にならないモノを無くしてばかりで落ち込んでたけど数年あれば劇的に人間は変われるんだよ
話が逸れたが1ヶ月外で音楽聴かなくていいなら別に一生必要ないことが分かる
普通に音楽は家とかで耳に負担なく聴いてこそだと思う 自然じゃないし

何もかも上手くいってない
いや、上手くいかない状態が基本なんだが、一個も上手くいってないとこんな気持ちにもなる
平時はゲームをしないんだけど気持ちの波がある時は意識を無に没入できるからゲームの充実した時代に生まれてよかった
ゲームって消費が全面に出ていて創造(生産)の対極にあるし事実大半がそこで止まるけど、深い消費の穴を這い上がってくるような冨樫義博とか一部ゲーマーは生産に組み込んでくるし、一方で大半の生産サイドはゲーム好きなほうではないから競合した時に対応が遅れる
こう改まるとインプットとアウトプットの配分って本当に謎だな…いや答えは出ないんだけど常に直感を超えてくる
インプットアウトプットそれぞれ同じぐらいで片方がちょい多いが一番直感的なんだけど突出している層はどれも見た目バランスが良くない

俺は読書をする割に小説を滅多に読まなくて、最近まで嗜好だと思っていたが欠陥によるものだと気付いた
小説より論述批評エッセイを好む理由として、長すぎる文脈やチャンクに集中が保てない
批評とかは一要素が小さいから集中を保てる
あと隙間時間に読んでいるのも大きい
嗜好とされている曖昧な領域じゃなくて機能としての不得手という言語化できるものだと気付けたのは嬉しい
なぜこの絵画はいいのか(人気なのか、ではなく)→この構図のここは黄金比に近い→ヒトの脳は美しいものを好む 説明は普通ここで止まるし再現性ある要素を根拠に出していて概ね良い説明だと思う
ただ気に入るから、の先は中々説明できないのはもどかしさもあるし一方で根源に近い感覚の説明に限界があることも自身で痛感している
ムカつく経験談があって大学のクソの英語の授業で好きな音楽をプレゼンするワークがあった
言語ネイティブということで日本にヤバすぎる爆弾を3日おきに2回も落とした頭のおかしい民族が爆弾を落としたことなんて一切関与していない顔で教員を務めていて、学期試験の一環でピックアップした音楽について一対一で例の言語で質問があった
なぜその音楽が好きか、の掘り下げに入るのは流れとして分かるが分解しきれないところまで掘り下げてきて答えられないと例の色の目で不機嫌…減点な反応でキツかった
掘り下げる過程で語学力とかを測るのは分かるけどネイティブ言語でも難しい領域のことを、しかも単調に質問していてそういう難しさすらよく分かっていなさそうなレベルの猿にマウントを取られていて結構キツかった…思えば近代東洋史の愛国心と自我の強すぎる反日教員といいあの大学は外国人の雇用がカスすぎる

今年も年末年始はミュージックマガとかタワレコが選出した面白そうな2024年音楽を漁って寝転んでいるのだろうか
年末年始の切り替わりや祭り感は勿論ずっと好きなんだけど歳を取るにつれ最早薄まっているし苦痛にもなってきた
人生への焦り、嫌な慣れ、周りで距離を置いて祭り上げる側じゃなくて当事者としての神輿になっていく……責任を持つ立場になって神体として主人公になっていくことは本来喜ばしいことなんだけど、俺は同年代のしっかりしている人達に比べ責任を果たせていないしやるべきことから逃げたり適当にやってきた だから神輿本体になっても重圧の方が大きくて最近は気が重い

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