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SOUL'd NOTE

仕事が燃え盛り消耗とかの結果休みの日名前のついた関係性の人に会うぐらいになり所謂普通のともだちに会わなくなった
1日の1/3以上を激しい消耗に捧げているものの限られた時間をやりくりするために寧ろ可処分時間の集中は高まり無駄が減ってきている
週2で図書館に行き膨大な本を借りて読んでいるが数を重ねるほどに自分にとって必要な本の多さと読み切れなさを感じる

大学開始ごろphaの著作が好きで読んでいたが最近に至るまで特に読んでいなかった
ただ直近出た新刊はちゃんと読んでいて、俺が読んでいた著作はほぼ内容同じ使い回しだったんだけど今作は年季を感じさせる一風変わったテーマになっていて俺がリアルタイムで感じている畏れとかを上手く言語化して向き合っている(けして解決はされない)
最新作で急にこんな面白くなったの何でかなと考えてたけど、ここ10-15年間って1年刻みにすると劇的に生活スタイルとかが変わってなかったせいで(どの時代もそうか)頻繁にエッセイを書いていると似通った内容になるのは仕方ないからなのか
それで世の中ではなく自身が加齢で変われば 特に自意識の年齢の変化は肉体と違いゆるやかじゃないからここ数年の変化をガッと見せるとそりゃ面白くなるか

人生でいつの時期にも戻りたくない
人生で戻るとしたらどの時期云々の問があるけどどこもプラスマイナスでマイナスが圧倒的に強くて二度と経験したくない
強いて言うなら無職の頃とか免許学校の頃ならまだ戻ってもいいなと思う
傾向として俺は学校や会社起因のシステムが作り出した関係性や生活から離れたいんだと思う
各時期のマイナスって突き詰めるとプレッシャーからの追い捲られが大きいしそれは人間関係の維持にも言える
無職って追い捲られが最大限に達してむしろ裏返ってるし人間関係も本当に0から作らないといけない分作らなくてもいいから楽だった
と最近考えていたがついこの前会社を休んで昼間から最寄り駅を徘徊していた
無職の頃云々を考えていたせいか無職の頃の過ごし方を意識していて気付けばブックオフにいた
会社を休むメンタリティなので元々元気はなかったものの改めて後ろ暗さや時間の膨大さも含めなるべく昔に近い状況を再現して一日を過ごしたが、やはり当時を美化しすぎていたのは否めず無職でない昔ほどではないにせよ無職の頃にも特段戻りたくないなと再認識した
何かをしていないと許されないほど強迫観念が強いのだろうか?別に何もしていなくても許されるのに
無職後半になるとこういった苦痛に慣れてもっと快適に過ごしていたような気もするがしばらくは無職には戻らなくていいな
最近また少し無職に戻りたがっていたが一日体験して冷静になれてよかった

ここのところ図書館とアップルムジークを更に使い倒していて無職時代以来これまで中々無かったペースで新しい(古い)本や音楽を読み漁っている
仕事とか苦しい側面の強迫観念が外の要素へと駆り立てている
10年後20年後はもっと苦しいんだろうか
俺は森で育ち発展途上国的に生きてきたから体力が有り余っていてまだ助かっている方だが体力が衰えてくるといよいよ加速的に終わると思う
何事も体力のゲージだけで他全部をごまかしているけど別に他のパラメータは特に伸びない 相当まずいことになる
寝る


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