2025年 怒濤の総括
驚くべきことに激鬱状態への対応が年々上手くなっている
10代の頃は(聞ける距離感の)年上の人に毎回「年取ったら生きるの楽になるもんなんですか」と聞いてしまっていた
誰もが真摯に答えてくれたのはすごく嬉しかったが、おしなべて含みのある面持ちで「場合によるが…」という返答だった
当時はもっと言い切りの形でガツンとした答えが欲しかったが、今思えば根拠のない期待を持たせない完璧な回答で自分が今聞かれる側に立ったら同じ様に答えるしかない
高校時代の友達に久しぶりに会って楽しかったは楽しかったんだけど、ずっとネトゲと内職以外の社会から隔絶されていて無職暮らしなせいかズレが大きくてキツい側面もあった
仕事とかで日々適度なストレスがないと脳の処理能力が弱ったり人と交流する機能がおかしくなるのは傾向事実として知ってはいたけど、いざ友達がそうなっていてズレたコミュニケーションの当事者として直面すると結構辛いものがあった
俺も一般人基準だと両側面下手な方だけど、普段他の人と話している時にはない違和感があったので何かしら程度の線引きがあるんだろう
こういうのって全般回避の選択なんだろうなと思う
ストレスを察知した時その場を回避するのか負荷のかかるラインに留まるのかの押し引きがある
脳に入っているこの察知と回避の機能は処理能力を超えた大きい負荷のストレスを触ってしまわないためにある(回避した方がいい場合)
一方で仕事とかのどんなに小さい不要な業務も言ってしまえば有るより無い方が良いから極論回避できるけど、それを続けると大きくて必要な業務を処理できなくなる(回避しない方がいい場合)
回避しない方がいいものも短期的に回避するとラクだし、出来る出来ないで言ったら回避できちゃうよね?無理して怪我するより慎重になるに越したことないし!という感じで自分含め現代人はコミュニケーションから単純労働に至って回避傾向が強い気がする
原因として絶対あるのが心身両側面で本来手間(ストレス)を煩わせていたことを外注できる道具が強くなりすぎたせいだと思う
俺が変な暮らし方していて余裕あるだけかもしれんけどどう考えてもウーバーイーツとか過剰すぎるし特にあんなに都会で市民権得るもんじゃないだろ
外食なんて出掛けたついでに買えばいいだろ そんな余裕もないぐらい忙しい奴っているのか?工数削減をサボってるだけにしか見えん
結局根性論かもしれないが(根性論って言葉負けてる側が言い出しただろ)現代人がこの押し引き全般ですぐ脱落しているなら、逆に体感より少しだけ耐えることで群衆から逆流し逸脱できる
今年の総括として長期的に勝つための忍耐が一個絶対にある
アクションベースだと一生懸命やるだけでやった感が出て良くないし、リザルトベースで成果が出ないと意味ない
そしてそれなりに良い成果を出すにはそれなりに時間手間かかるので我慢が切れたタイミングでリリースして小満足はやらない
ここ数年俺は初詣で念じるdesireに迷いがあった、それが既に弱かった
調子が良かった頃初詣はじめ何も迷うものはなかった I want it all それしかない