二者択一のときは、辛い方を選べばいいのか。?
そういえばオリンピック、ボルダリングを観戦していたら、「ああこの感じ、立ち上がって歩行器までいくのに似てるな…」と勝手に共感しました。そこを掴めたら、次はそっちだー!
なんだあ、もっと早くから知ってたら、もっと楽しくやれたんじゃないか。
あと、次を掴めなかったときの悔しさと、めんどくささといったら。(そう、苦しいというより、もはやめんどくさいのです笑)40cm先の、あの机の角が遠い…。今回の東京オリンピックでボルダリング見るのが大好きになりました。
賛否ありましたが、スポーツ観戦、基本的に好きです。
そんなこんなですが。
ブログを読んでくれた友人達からは、よく耐えたねえ…読んでて辛いよ、との反応も。確かに、こんなに苦しむ必要はあったのだろうか?と思うこともあります。
苦しみをできるだけ軽減する選択肢は用意してもらっていました。
痛み止めだって、飲んでよい期間中ならもっと摂取して楽に暮らすこともできた。赤ちゃんに手術で早く出てきてもらうことも、可能だったのです。
でも、できるだけ痛みに耐える方を選びました。子の安全のためでした。そして結果的には、誰も予想していなかったけれど痛みがほとんどなくなったのです。
実は夫も同時期にアトピーがひどくなり、その治療の中でも大変な方法を取りました。「次世代に残したくない。」薬に頼らない体を作りたかったのです。夫婦ともに、こういう所がよく似ています。
ここでちょっと、考えました。二択のとき、辛い方を選べば、明るい未来が待っているのか。先に我慢をすれば、後で確実に幸せなのか…?
そうかもしれない。でも自信を持って、同じ悩みを持つ人に「辛い方を選びましょう〜」とは言えないです。とても。
というのは、辛い方を取ると、途中経過で苦しみます。私達は覚悟ができていなかった。
苦しみのあまり、自分が一番かわいくなり、自分が一番痛んでいると思い、家族が空中分解しそうになりました。分かってもらえないなら、失っても構わない、とすら思っていたのです。
こうなってはいけない。これはとても危ないのです。本気でそう思いました。なんて恐ろしいフェイズに来ていたのか。
化け物のようになるのは、見てくれだけではないのです。精神もまた、過度の自己中心的状態になるのは否めません。
では、辛い方を取るのであれば、
必要なのは覚悟です。自分を見失うかもしれない、あるいは豹変するかもしれないことを、大切な人に伝え話し合って決めることです。しかも自らだけの覚悟では足りません。双方です。
いくら頭で理解していても、やはり乗り越えさせてくれるのは「覚悟」なのではないでしょうか。
二者択一の先にあるもの。みなさんは、どう思いますか。
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