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(歴史妄想①)出世目的でタイムスリップするならどの時代がベストか!

「ごく普通の家庭出身の自分でも、大富豪や、貴族になれないもんだろうか?」
誰もが一度は夢見る?馬鹿げた願望です。

一握りの金持ちが富の90%を総取りする時代。志ある学生は若いうちから企業して、会社を高値でどこかに売って40代以降はシンガポールに住んで投資運用で暮らしたいといトレンドがあります。
しかし、企業経営はストレスフルで自分にはとても無理・・・。

じゃあ領地持ちや国からの給付金のある貴族はどうでしょうか?
戦前まであった華族制度、その多くは世襲であり。明治維新に貢献したり、実業家で既に大成功している人という、とうてい不可能な条件。
それ以外は既に江戸時代までに京都の貴族だったり、大名だったりでないといけない訳でどうにもなりません。

ここからは完全妄想に入ります。
もし、自分が日本国内で生まれ変われるとしたら、どの時代のどの場所ならば、子孫が昭和まで貴族として残るような人生を送れるのか?


そう考えて歴史を調べると、貴族誕生の大和朝廷や藤原氏の時代以外に、裸一貫から大名・貴族チャンスのある時期が日本史上で1回ありました。

それは戦国時代。覇権を握る武将の家臣になること。

でも織田信長は厳しすぎるし、合戦で討ち死にする可能性大。
徳川家康は譜代で三河時代から苦労していないと駄目で抜擢厳しい。

そうなると豊臣秀吉一択。

しかも、秀吉が長浜城主だった約10年の間に臣下となれば確変です。

孤児のような身から立身した秀吉には譜代の臣下のなどおらず、初めて城主となった長浜期に信用できる子飼い部下の抜擢、育成を積極的に取り組みました。
新時代の旗手・信長カンパニー内で成長著しい社内ベンチャー・秀吉。
ここに採用された若者こそが未来輝く「トヨトミJr」です。

長浜城以降の秀吉は勝ち戦が続き、領地拡大期で大名になるチャンスが歴史上最もあった時期だと思います。

なのでタイムスリップして大名を目指すなら1570年代の滋賀県北部一択です。

例を挙げると

脇坂安治くん1554年近江国浅井郡生まれ 淡路国洲本藩主、大洲藩初代藩主
藤堂高虎くん1556年近江国犬上郡生まれ 津藩32万3000石
蒲生氏郷くん1556年近江国蒲生郡生まれ 会津91万石
片桐且元くん1556年近江国浅井郡生まれ 茨木城主、大和国竜田藩主
大谷吉継くん1559年近江国生まれ 敦賀城5万石
石田三成くん1560年近江国坂田郡生まれ 佐和山城主19万4,000石
加藤嘉明くん1563年三河生まれ幼少期に近江へ 会津若松城43万5500石

ほとんどが滋賀県北東部で、今でいうと高校の先輩後輩ぐらいの距離感に大大名が続出しています。

当時30代のキレッキレの秀吉に仕え、その後秀吉の出世に伴いそれぞれ大名になっていきます。

しかし、上手く秀吉家臣になれたとしても、武将たちの生涯を歴史から振り返ると、大局の見極め、危機を乗り切り、チャンスをどう生かすかが、自分とその子孫たちの人生の分かれ目にとなったことが分かります。

まずは、上司となる秀吉の人生をザーッと年表で振り返ってみます。

1537年? 尾張中村で誕生、足軽以下の身分
1550年? 13才で父親の虐待から家出(*悲惨な少年期)
1554年  17才で織田信長に小姓として仕える(*ナイス選択)
1561年  24才で浅野家のねねと結婚(*血縁関係者強化)

「墨俣一夜城」、「毛利への援軍」、「金ヶ崎の退き口」、「姉川の戦い」(*死に物狂いでメチャクチャ仕事を頑張った時期。この時期の家臣は戦死可能性大)

1573年  36才で長浜城主(*部長格へ出世)
1582年  45才「本能寺の変」「山崎の戦い」「清州会議」を経て28万石大名
(*失敗できない大勝負!その結果今で言う代表権のある筆頭取締役へ)

1583年  46歳「賤ケ岳の戦い」「小牧・長久手の戦い」「大坂城建設」
(*ここからほぼ秀吉は勝ち戦が続き領地も拡大、この有利な状況をどう利用するか?)
1584年  従三位権大納言に叙任。「四国平定」
1586年  49歳。太政大臣、豊臣政権樹立。「九州平定」
1589年  53歳。「小田原征伐」
1591年  55歳。「奥羽平定」。天下統一、関白就任!おめでとうございます!

秀吉の立身出世人生を見ると、20代半ばから30代半ばの死ぬ気の頑張りと、45才までにライバルから抜きんでる業績を上げ、山崎の戦い以後は政治力で押し切るという感じです。秀吉は62歳で亡くなってますので、このライフサイクルは今の時代の会社員に通じるモノがあります。

次回からは、そんな30代の秀吉に抜擢された秀吉Jrの人生から学んでいきます。
(終)


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