表現は痛みを伴う行為
こんにちは。ウォークです。
皆さんの発信活動は捗っていますか?
何かを発信することって、自分が持っている知識や何かしらの想いを不特定多数の誰かに伝えることですよね。
これって自分だけで完結する読書やメモ書きと違って『痛み』を感じる行為だなと最近強く思います。
僕はnoteを書く際に
自分が伝えたい想いはこの文章で伝わるだろうか?
こういう構成の方が響くのではないだろうか?
自分のこの知識は本当に間違ってないか?
色々なことに思いと感情を巡らせ言葉を紡ぎます。
その結果完成した1本の記事。
いつも投稿ボタンを押す際には、ワクワク感と一抹の恐怖があります。
でも逆に言うと、痛みを伴うからこそ、自分の想いが、感情が相手に届いたと感じる瞬間は格別に嬉しく思います。
皆さんも世の中に、自分の作品を晒すときってそういう気持ちになりませんか?
誰にも見られなかったら悲しいな。
そもそも自分の作品なんて誰も興味ないんじゃないかな?
こんな発信活動に時間と労力かけるより、ダラダラしたいな。
そういう恐怖と怠惰を跳ね除けそれでもアウトプットし発信する。
自分の痛みと向き合いながら作品を作る。
僕はそういう表現活動をしている人を美しいと思います。
このアウトプットするって体験ってお金をいくら払っても出来ない貴重な体験ですよ。
ある意味、人として最高の趣味なのかもしれませんね。
何かを表現するってことは。
世の中には耐えるべきでない痛みと耐えるべき痛みの2種類があると思っていますが
表現のために自分と向き合う痛み、作品がなかなか自分の思い通りに評価されない痛み
これらは耐える価値のある痛みだなと、素人に毛が生えた程度の僕でも思うことが出来るようになってきました。
今回の記事も読んでくださってありがとうございます。
あなたの痛みの結晶も、ぜひ読ませてくださいね。
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