森をサードプレイス third place として位置づける
多感な頃、親でもない家でもない学校でもない、自分の居場所がほしいなあとぼんやり考えていた。それは小学校の中学年の頃から始まり、中学、高校、大学の頃まで「ほしいなあ」と思いながら、時にその場を見つけ、時にその場に出会えぬまま、人生を小難しく過ごしていた。
小学校の通学路の途中に、父の職場の裏手の敷地内に、リネン室のような、シーツやふとんを畳んだりするための小屋があった。当時どういう名前で認識していたかは思い出せないが、仮に、ふとんの家、と呼ぶことにする。職員だと思しきおばちゃんがいつもふとんの家の中にはいて、畳敷きの広間に座ってシーツを畳んだりしていた。たまに、私は下校の途中に寄り道をして、おばちゃんのそばにしばらく居て、自宅に帰った。何の話をしたか、あるいは話をしたのかしていないのか、は思い出せない。ふとんの家の周りには小さく整備された花壇や、タニシが住んでいる側溝があって、それらを眺めるのも好きだった。春にはレンギョウが咲いていたと思う。秘密の友達、秘密の場所。ある時、おばちゃんが花壇の花を摘んで、花束にして私に持たせてくれた。その花を家に持ち帰ると、母に「誰からもらったのか」と問い詰められ、結局おばちゃんのところに一緒に挨拶に行ったように思う。しばらくして、父の職場が大規模に建て替えられた時、そのふとんの家も取り壊されて無くなった。
その後の人生でも、成長しても、住む場所が変わっても、ふとんの家のような存在が欲しいと常々思っていた。時には見つけ、時には見つからなかった。次第に、いつか自分がふとんの家のような存在になりたい、とも、ぽつぽつと考えるようになった。時は過ぎ、大人になり、仕事をし、転職し、子どもができ、育て、我が子やよその子を見守り、最後に「森の管理」に携わるようになった。小さい頃から森や木が好きだった。疲れた時、頭が煮えたような時に森を歩くと、気持ちが軽く、感情が丸くなる感覚がする。世間を俯瞰できるようになる。自分が地球上の一生物であることを思い出せる。今後の生業として、森と人を繋ぐための場所を作る、ということを考えている時「サードプレイス」という言葉を知った。レイ・オルデンバーグさんというアメリカの社会学者が提唱した概念だそうで、サードプレイスの意味とは「コミュニティにおいて、自宅や職場とは隔離された心地のよい第三の居場所」。なんだ。みんなふとんの家を欲し、それぞれのふとんの家を心に持っていたのか。
街の小さなパン屋が、数か月後に閉店することを今日知らされた。縁もゆかりもない移住先の小さな町。私が仕事で疲れたら、あるいは大きな仕事を終えて燃えかすになったら、いつもこのパン屋に行った。するとあたたかく店主が迎えてくれ、話を聞いてくれ、背中を押してくれた。また次も頑張ろうと思って店を出た。このパン屋を失うことは、私にとって、そしてまた一部の町民にとって大きな痛手である。では私が新たに、と言いたいところだが、わがままなことに、簡単に替えが効くものでもない。さらには「サードプレイスをつくります!」と宣言して作られたサードプレイス空間に、おそらく私は行きたくならない。それは時間をかけて人や場所から、醸し出されるものなのかもしれない。既に森は気配を作り、準備ができている。今後、そこに私が構える空間が、数年後か十数年後、誰かのふとんの家になっているとよいなと思う。