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【イチローと禅】イチロー選手の脱力と道元禅の身心脱落〜脱力時のパフォーマンス〜

本マガジンは日米野球殿堂入りを果たしたイチロー選手が基本のもっと手前の基本として強調する「脱力」の概念と、スティーブジョブズを始め世界のリーダーが影響を受けたという日本の曹洞禅・永平寺開山で知られる承陽大師・道元禅師の”身心脱落”の成り立ちについて共通点を抽出し、私を含め読者の皆様にも新時代を生き抜く発想や何かクリエイティブなヒントが得られないかという試みである。


さて、これまでの記事でイチロー選手のいう基本のもっと手前の基本としての脱力と道元禅の身心脱落というコンセプトの共通点を探ってきた。

イチロー選手の発言と禅の思想

イチロー選手の言行録と禅の思想や禅語などを照らし合わせるために対照表を作ってみたが、作りながらにやはり符合する点が多い、というかイチロー選手の口から直接「禅」について語られていることを筆者は知らないが、そこを意識しているとしか思えないほどである。

身心脱落=柔軟心=柔軟身は、古今東西でつながる具体的なコンセプト

道元禅師が中国は宋の国で天童山・如浄のもとで豁然大悟した身心脱落という概念は、古くはお釈迦様から数数の高僧達の相伝により嗣法されてきた。

道元の拝問に対して師・天童山如浄禅師がこう応えた。

仏々祖々の身心脱落を弁肯べんこうする、乃ち柔軟心なり。

道元/宝慶記

「身心脱落は柔軟心であるならば、身心一如の立場を取る仏教、身心学道の中で心より身体から先に入るという禅の考え方からすれば、

身心脱落=柔軟心=柔軟身

で結ばれることになる。

このことは仏教の最も古い経典とされるスッタニパータで最もメジャーな節でもその萌芽が確認できるし、中国古典の老子、孫子などのでは「水」として表現されたり、禅とは主旨が異なるはずの浄土真宗の聖典の中でも"身心柔軟"ということが重要視されていたり、それぞれの教義で重視することは違えどもたどり着くところが同じということも興味深い。

余談になるかもしれないが、国民的マンガのONE PIECEの主人公ルフィは、それまでのジャンプヒーローのイメージは筋肉ゴリゴリバキバキの男とは違い、ゴムゴムの実で柔らかく伸び縮みする痩せ型の少年。作家の尾田栄一郎氏の定義するヒーローの真の強さとは、大きさではなく柔らかさだったとしたら、現代のエンタメにまで符合していくのである。

また、任天堂のゲームにはマリオ、ゼルダ、それからあつ森と任天堂のゲームのキャラクターに共通しているのが一貫した"かわいらしさ"である。これもプレイヤーの気分をどこか緩めて感情移入ができるようにする演出上の配慮なのだろうが、これらのキャラクターが全部、ゴリバキのハードボイルドのキャラクターだったらと想像してみて欲しい。

エンタメ産業の基本は、常に目新しさが求められる以上、そこには「えっ!これ何?面白そう!」という入口が重要であるからこそ、お客の堅い財布のひもを緩める演出が重要になる。キャラクターにどこか「ゆるさ」を求めた任天堂の勝因のひとつかもしれない。

日常の会話では使うことがない「身心脱落」という言葉も、現代的な解釈をするならば、「ゆるい」である。

道元が豁然大悟して如浄にその心境を報告した際の如浄禅師の返しが

「身心脱落、脱落身心」

だったわけであるが、超訳すると、

道元「師匠、私、わかりました。身も心もゆるさが大切なんですね。」

如浄禅師「ハーイ、道元ちゃん、よくわかったね。これからはその”ゆるく”を意識しないくらい、ゆるくなれるようにお互いゆる〜くいこうぜ。」

といった感じなのかもしれない。

もしもの風景を想像すると、頬が緩む。

身心脱落=柔軟心=柔軟身としたときにここでようやく宗教の世界で語られるコンセプトと、イチロー選手のいう脱力を同じとまではいわなくても相通ずる概念かもしれない、ということが見えてきた。「禅は諸道に通ず」というではないか。

では、その脱力状態ができているときとできていないときではどのようにパフォーマンスに差が出るか?というところの話を進めていきたい。

ちなみに、このテーマは身体研究家、古武術などの達人の方に言わせると常識の世界であるが、それが非常識の世界にいる人にとっては初めて聞く話かもしれない。この記事はどちらかというと、そんな世界の存在なんて考えたこともない、という人に自分たちが常識と思っている別の世界線があることが伝わり、その情報格差を少しでも埋められればいいと思って進めていく。メディアの発達した現代であるから、書籍やネットのコンテンツでも、道元の生きた鎌倉時代とは比にならないくらい材料は豊富であるし、さらに関心がある方は詳細の研究はやはり読者の皆様に委ねたい。やはり、それぞれ自分に合った指導者を見つけて指南を仰ぐのがいいだろう。

脱力が生む常識外れのパフォーマンス

イチロー選手の身体の柔らかさと高いパフォーマンスにいまさら因果関係がないという人はいないだろう。

しかし、実際に彼が言う「脱力」はそうでない場合に比べてどのようにパフォーマンスに差が出るのか?やはり比較検証してみたいものである。

ここで、以下の書籍で「普通の動きとゆるんだ動きの剣先のスピードと実験のグラフ」という興味深い検証が紹介されていたので引用させていただく。

本書の中で著者の運動科学総合研究所所長の高岡英夫氏が人体の動きを物理学から研究するバイオニクスの専門家である横浜国立大学の伊藤信之介教授の協力のもと高速度撮影で計測してコンピュータで解析した検証である。

詳細は本書を読んでいただくとして、本マガジンでは本書内で紹介されている検証結果のグラフを紙面の都合上、かなり簡略化してご紹介したい。

※本書は2003年が初版となっているので20年以上も前の何分年数の経った検証結果であり、今となってはより詳細な研究が進んでいると思うということは添えておきたい。

私たちが常識的な動きとする「普通の動き」と、その別の世界線のイチロー的ともいえる「ゆるゆるの身体の状態での動き」では刀を振ったとき剣先のスピードにどんな違いがあるか?であるが、以下の結果となったそうだ。

参考>高岡英夫著 武蔵とイチロー


この結果から端的に言えば、普通の動きに比べて、ゆるんだ動きの方がトップスピードに至るまでの時間が早く、かつ、剣先の移動距離も長いということである。

剣先のトップスピードは野球でいえばバットのヘッドスピードと置き換えれば考えやすいと思うが、この検証結果を参考にすると、イチロー選手がなぜ脱力を重んじるかが普通の動きしか知らない私のような人間でも「そんな世界線もあるのか?」と新たな問いを立てることができるようになり、理解の解像度が高くなるものである。

「しなやかさは欲しいよね。」
「これ(筋トレ)やっちゃうと失ってしまうんで。」
「それは僕でなくなります。」
「そんな人いっぱいいるし、力強い人は山ほどいる。」
「これをしたらそうなれるかというものはなかなか難しいんだけど、やってはいけないということはあるかもね」
「大事な、必要なところだけ力が入るようになっていて、あとは抜けている。」
「抜くことができる」
「力を入れることは簡単にできる。大人になると抜くことができない。」

イチロー https://youtu.be/v-SZji91RAk?si=llwHJ-GNjAijRhF-&t=735

イチロー選手が言わんとしてきたことがまた少し見えてきた。

そして、それは単にイチロー選手の専売特許というものではなく、脱力=柔軟身=柔軟心と、道元禅のいう身心脱落のコンセプト、釈迦を始め先賢達が綿綿と紡いできた、いわば、私たちが平等に活用することができる可能性のある、いゆわる人類普遍の叡智であることもつながりが見えてきた。

つづく



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