遠くへ #012
どうも。わきゅうです。
時々、遠くへ行きたくなりません?
これがどういう感情の作用なのか、知りたいとも思いませんがフラ〜〜っとどこかへ出掛けてしまいそうになる又は本当に出かけてしまう。的な目に見える症状が時々湧いてきます。
北でも南でも西でも東でもいいので取り敢えず電車に乗って、行きたいところまで行って、適当なところで降りて、本屋に行ったり喫茶店に立ち寄ったり、カラオケで歌ったり川を眺めたりと。文字に起こすと相当馬鹿馬鹿しいのですが、本当にこういう気持ちになるし、そういって家を出てしまう。
最後はいつも、何をするのにも金が掛かる事実に嫌気が差して帰ってくる様な気がします。要するにその街にとって自身は異物で、存在することを許されるために金を払って居させてもらうてな感想です。
わたしは中途半端な都会に生まれ育った為、幼少期の原体験としての車社会を知らないです。なんだか、ホームセンターとかスーパーに入ってるフジヤとか、シャトレーゼとか、でかいパン屋とか知らないで育ったので憧れがあるんですよね。なので、どこか遠くとぼんやりと考えるときはそんなものがある場所に向かいます。正直、関東郊外に出ればそう言う場所ばっかりです。同時に、そんな場所に拒絶されている様にも感じる。考え出すと、人生はほんとうにめんどうくさい。
まあ、拒絶されていようがいまいが少し勇気を出してお店に入れば店員さんは親切だし、出てくるものは皆んなとおんなじです。その事実にほっとして、小説に目を落としたり、近隣を地図上で眺めて、これからを考えるわけです。そんな時にふと耳に入る音楽が贅沢だなあと思います。
今日も黒子首というバンドを聴いていました。
心底このバンドのフロントを務めている堀胃さんという方は天才というか自分には到底書けない様な曲ばかりをまるでさらさら書いている様に印象付けられてしまいます。そんな印象を一言でわたしは天才と呼んだりします。
「夜の下」
淡々と過ぎ行く日々の
幸せに気づけないままに
悠々と泳ぐ人だけ
目については瞼の裏で溺れるの
たったか走るこの夜の下
孤独ひとつ引っさげて
紺色絨毯に散りばめた
憧れに避けられていても
-夜の下(黒子首)より引用-
上記はその黒子首の「夜の下」という曲です。
勝手に太字で強調しましたが、「淡々」「悠々」と詩そのものにリズムがあります。肝心なその意味ですが、隣の芝生が青くて青くてしかたなく感じてしまっている人のことを歌っているのだと解釈しています。わたしはいつも隣の芝生が青くて、それが自分の人生の結論みたいで虚しくなることもありますが、そんな気持ちに寄り添える詩が存在することに驚きました。それも、こんなに比喩に富んでいて、リズムがあって、説明臭くない言葉で構成されている。
サビの「たったか走る〜」って詩も素晴らしいですよね。たったか走るって言葉、歌詞に使う?それもサビに?何を読み書きして育ったらそんな感性になれるんだろう?理解不能です。
今日はそんな素晴らしい曲の素晴らしい部分に気づくことができたので、それを伝えたくて記事を書きました。私自身、日々作詞及び作曲に頭を悩ませています。誰かの憂鬱に寄り添える様な歌が書けるといいな。頑張るぞ〜。