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身体の現状 2021.03.28付

久々にnoteを使う。
noteを使うと2019年に舌咽神経痛で入院していたときのことを思い出す。
もう1ヶ月も食事が出来ず、ベッドにうつ伏せの状態で、突如くる痛みに耐えていた日。手術前には15分置きと短いスパンで痛みが襲いかかるまでになっていた。
手術しても症状は治らないかもしれない。
失明の可能性がある。
命に関わる場合がある。
医師から、そんな説明を受けた。
そんな状況で書ける時を見計らって、記録簿としてnoteを書いていた。

舌咽神経痛の手術から2年が経とうとしている。

あれから症状は出ていない。
目も見える。
手術は成功と言えるのだろうか?

手術の翌日から右の脇の下に腫れがあり痛む。
重さのあるものを持つと痛む。
右側面を下にして9時間の手術だったので、それは当然だろうと思った。
手術後10日あまりで退院となった。
脇の下の腫れは治らず、右胸部(肋骨の下あたり)が腫れ、熱を帯びているように感じる。
同時に両腕に血栓ができた。

術後の経過観察のために病院へ。
舌咽神経痛の手術に関しての話以外は聞く耳を持ってくれなかった。

胸部の腫れは日増しして息苦しく、身体は倦怠感があり微熱が続く。
日に日に症状が悪化するので、近くの町医者へ何度か足を運んだが、症状も原因も不明。
大きい病院を紹介してもらった。
その時点で術後1ヶ月の6月の話。
それから、原因不明で院内で各科をたらい回しの受診が続く。
8月に肋骨と筋肉の間に膿瘍があることがわかった。
通常では膿瘍が溜まる筈のない部分だそうで、これをどこの科が対処できるのかで、またもたらい回しが続く。
8月の末に形成外科がみてくれることが決まった。

それから数日経った9月3日に限界が来た。
痛みが強すぎて、歩くこともできない。
胸部が膨張して圧迫感があるので呼吸も苦しい。
急遽9月4日入院。
翌日9月5日に手術となった。
それから2ヶ月の入院。
溜まった膿瘍を出し切るために傷は開けっぱなしで、自然と閉じるのを待つことになったが、傷が閉じずに膿が出続ける。
翌年の2月に再度手術。
今回は肋骨の先端に炎症が確認できたとのことで、骨を削り傷は縫い閉じた。
退院後に患部が膨張し、痛みで動けなくなる。
確認のために医師が膨張部に注射器を挿したら膿が溜まっている。
今度は注射針の穴が塞がらずに膿が出続ける。
膿の逃げ場ができたので、動けないほどの痛みは無くなった。
度重なる検査の結果、膠原病ではないか?という話にもなったが、仮に膠原病だとしても今までに前例のない症状なので10億人に1人レベルのレアな物になるので現実的だはないとのことで、原因も分からず、病名もつかずの日々が過ぎる。

再発性多発性軟骨炎という特定疾患ではないかとの流れになった。
これも膠原病の1種である。
現状で膠原病として治療をするにはリスクが高過ぎるとのことで、再発性多発性軟骨炎である確証を得るために、肋骨の採取が必要となり同年の12月、3度目の右胸部の手術を行うことになる。
もちろん術後の症状は変わらず。
ちなみに11月から謎の前身蕁麻疹に悩まされることになる。

手術で再発性多発性軟骨炎である要素は、ある程度揃ったらしく、あとは骨シンチグラフィーという特殊な画像診断での結果で病名が確定というところまで来た。
翌年の1月に骨シンチグラフィーの予約が取れた。
画像診断の結果。
全てが振り出しに戻った。
再発性多発性軟骨炎の炎症の出方とは違うとの事。
余計に何の病気かわからなくなる。

それから色々試した。
効果はなかったが痛風の薬なんかも飲むことになった。
苦肉の策で酸素カプセルを勧められた。
先生も頭を抱えている。
一旦、大学病院の見解を聞くことになる。
肋骨を1本2本取らないとダメ。
との事で、3日前の3月25日に肋骨を1.5本とる手術を行いました。
現在、絶賛入院中。
今回で最後の手術になる事を切に祈る次第である。

#闘病 #舌咽神経痛 #骨髄炎 #膠原病 #再発性多発性軟骨炎 #骨シンチグラフィー

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