物事はすべてが多面的である💡✨
あれは正しい
コレは間違いだ
そんな論争や口論が、恐らく
この世に人類が誕生した頃から
絶え間なく続いて来ていると思います(笑)
よくよく考えてみると楽しい物です。
ケンカの原因など、ほとんどが
取るに足らないことで
部外者から見ると
『なんで、そんなくだらん事で揉めるんや?』
とか
『相変わらず仲がええな』
などと見られるケースも少なくありません。
まず、この口喧嘩のことを
『口論』などと言いますし
意見を戦わすことを『議論』なんて言います。
此処で、多くの人が見過ごしているのが
コレらはすべて『論』であると云うことです。
論は、あくまでも『論ずる人の見解』
でしか無いと云うことです。
例えば、宇宙誕生には『ビッグバン理論』
と云うのがありますが
これは何も『科学的な証明』がされた訳でも
何でもなく、現代の物理学や科学の
『理論』をもって出された『見解の一つ』
に過ぎません。
そう云う意味において『論=説』であり
説は、あくまで仮説に過ぎません。
ご存じの通り、その昔は
天動説と地動説とがありました。
天動説は、地球が中心に
天体が動いてると云う考え方。
地動説は、太陽を中心に天体が動いてる
と云う考え方な訳ですが、天文学の父と
呼ばれるガリレオ・ガリレイは
太陽を中心に天体が回っていると云う地動説を
唱えたばかりに異端審問で
追放され職を失うなどしました。
また、宇宙には見えないブラックマターと
呼ばれる物が存在するなんて説は近年の物。
また、ヒッグス粒子などの素粒子に関しても
長年、そんな物は無いとされて来ましたが
加速器による実験で存在が証明されるなど
科学の世界では『説』や『論』は、時代と共に
変化してゆくことが分かります。
または、シュレディンガーの猫なんて話もあって
観てない時には存在していない…など
ちょっと聞いただけでは首を傾げてしまう
理論ですが、素粒子による二重スリット実験の
観測問題で、そんなトンデモ話も荒唐無稽な
お話では無い事が実証されたりと
現代科学の進歩やその理解において
我々一般人の理解の及ばない
ある種、オカルトやSFだった世界が
真実かもしれない❣️…なんて時代に
突入している訳です。
そのくらい、物事は非常に
多角的な側面を持っていて
様々な見解が論じられ研究され
何十年、または100年以上の時を経て
やっと証明されるなんて事ばかり。
それなのに、この宇宙の理も
重力の理屈さえも理解できない
言語化できないくらいのポンコツな
我々が、何をもって『正解・不正解』と
言えるのでしょうか?
それを問われた時に、多くの人は
『そんなん常識やん‼️』
みたいな反論をされます(笑)
『常識の定義付け』もされないまま
ただ『常識』と云う言葉で括られ
個人的な見解でしかないものを
あたかも真実かの様に観念を押し付けられます。
それを、この目で観たり体験する度に
『人類ってまだまだ園児レベルの生命体やなぁ〜』
…としみじみ思ってしまいます。
否、園児、幼児の自由奔放な発想力の方が
ずっと進歩して感じると言ってもイイのです。
そう考えると、人類は園児レベルではなく
まだまだ、猿人レベル…と言った方が
適切なのかもしれませんが(笑)
『オマエの脳みそ、まだ猿かっ!!!』
なんて、罵ったら
とんでもないケンカになるので…
思っても口にしてはイケマセン🤭💦
つまり、物事は非常に多角的で多面的であり
『正解』『不正解』もその環境や人によって
答えは異なったりする物で
『絶対普遍の正解』など無い‼️
…と考える方が、ずっとまともなのです。
但し、自分の中の『正解』や『絶対』は
持って良いのです。
あくまで、個人的な見解においての
あなた独自の『正解』『正義』『好き嫌い』は
あって良いのです。
それが、あなたと云う個性であり
そんな『個人の集合体』が社会であり
そんな個性の集合体が社会だからこそ
違いから新たな発想が生まれ
許すことを覚え、違いを尊重するが生まれ
得手不得手を補い合いながら協力し合い
違いを許容しながら『共同創造』して行く
そんな、世界を我々はこれからも
千年万年と、すったもんだしながら
創って行くのだと思うのです🌎💕✨
いつの時代も一番大切なのな
やっぱり『愛』ですね💕✨
❤️✨💖✨ ❤️✨💖✨ ❤️✨💖✨ ❤️✨
最後まで読んでくださり
ありがとうございます💕
🌷SoulFlower Kamuy🌷
❤️✨💖✨ ❤️✨💖✨ ❤️✨💖✨ ❤️✨