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或る夏の日
今日は、久しぶりに新幹線に乗る。
あの日のこと、ここに遺しておこうと思う。
大学2年の7月、半年以上に渡るビッグなお仕事を終えた私は、どこかホッとしたような、腑抜けたような、なんとも言えない気持ちだった。
「これで良かったのかな…?」
とにかくとにかく不安だった。
巻き込まれてくれた人たちは皆んな楽しかったよ、あなたのおかげだよ、ありがとね、いろんな優しい言葉をかけてくれたけれど、自分のそれまでの日々に自信がなくてしょうがなかった。
そして、
もーーうとんでもない量の涙を流すことに。。
忘れもしない、夜11時くらいの図書館前。
その時誰も居なかったから良かったものの、外で流すには多すぎる涙だった。
私はなににこんなに泣いてるんだろうって考えた時、浮かんだことは二つ。
一つ目は、さっきの自信のなさ。
二つ目は、日々があまりにも平坦に続いていたこと、繰り返されていたこと。
毎日同じように起きて、授業に行って、あれこれミーティングに出て、積もるタスクをこなして、課題に追われ、夜中に寝に帰って、また朝から図書館に行って…。
「自分がやりたくてやってることだから楽しい」
の一点張りで日々を繋げていたけれど、続けるのが怖くなってしまった。
これでいいのかな、って。
ひとしきり泣いたあと、お父さんに電話をした。
泣きながら
「ここにいるのが辛い」
って言ったのはあれが初めてだったと思う。
お父さんもきっと困惑したよね、
あの時はありがとう。
とりあえずここから離れようっていうことになって、お金を貸してもらって、翌朝はやくにキャンパスを抜け出し『家出』した。
仙台に向かう新幹線の切符を買って、だいすきなバイト先のカフェで朝ごはんを食べた。
平日の朝から私がやって来るもんだから、オーナーもびっくり。
(ここで思い出したんだけど、この数日前のバイト中にオーナーから
「そんなに忙しくしてて毎日楽しいの??」
って聞かれたことが心のどこかにずーっと刺さったままだったんだよね。
当たり前だと思っていた日々を当たり前じゃなく思う人がいて、初めて自分の生活というものを疑うことができた。)
バイト中ずっと飲んでみたいな〜って気になってたレモンソーダをテイクアウトして、いざ新幹線に乗り込む。
家出プレイリストの一曲目は、あさぎーにょのグッバイコスモス。
平日朝の空いた新幹線の中で
「今日はお休みします」
って趣旨のメールを打ち、仙台にいる友だちに連絡をしながら私はドキドキソワソワしていた。
いま、いつもの『日常』から抜け出している。
仙台に着いてすぐ、
当時付き合っていた彼とサンドイッチを食べに行った。ガリガリのバゲット添えられたキャロットラペがおいしい。
この時点で、いつもの日々を残してきたことへの罪悪感は消えていた。
アーケードを歩いて、クレーンゲームをしたりパイナップルを買ったり、ここにある『いつも』を経験できていることが嬉しかった。
そこから友だちと合流して、憧れのクレープを食べた。
遠くから、近くから、「まえださん〜!!」って集まってきてくれることがほんとうにほんとうに幸せだった。
歳は違えど、友だちのような、幼馴染のような、家族のような皆んな。
一緒に服を選んでみたり、ヨドバシカメラで散歩したり、アンパンマンと写真を撮ったり、カフェでお絵描きしたり、お気に入りの食堂で豚汁をのんだり、ひとつひとつの瞬間が眩しい。
(いま写真を見返しながら泣きそう)
とどめは、夜の花火だった。
なんだかんだ10人以上集まってくれて、月曜日から河川敷で手持ち花火をした。
どう考えても、どこを切り取っても、青春!
心も身体も満たされて、
愛があふれてこぼれそうだった。
がんばって掬って、心のなかに溜めておいた。
翌朝、たまたま同じタイミングで仙台に来た大好きな人にも会えた。
一緒にずんだシェイク飲んだなぁ。
帰る時はほんとに寂しかった。
でも、ほんのちょっとの自信も芽生えた。
キャンパスに戻ってきた時、その敷地に足を踏み入れるのがどうしても怖くて、近くのカレー屋さんで時間を潰した。
今日あったこと、考えたこと、いろいろをノートに書き記しておいた。
後からお父さんに言われたことは、
「突如何もかも投げだして家出しないでもいいように、日々息抜きしなよ」
ってこと。
確かになぁ〜って思った。
毎回毎回たくさんのお金と時間とそこに至るまでストレスをかけていたら、私も周りの人も困ってしまう。
バランス、なのだ。
そして、この日を境に、私のテーマのひとつが
“日常に『非日常』をcreateする”
になった。
私が家出したことによって、みんなは「ただの月曜日が特別な非日常になった」と言ってくれた。
平坦に伸びゆく日常に、少々の凸をつくる人であれたらいいなぁと思った。
一年半ほどの月日が経ち、それなりにいろんなことを新たに知ったけれど、この日の記憶と、この日の決意はまだまだ色褪せない。
いつか走馬灯を見る時、
きっと2022年の7月11日のことも想い出すんだろう。
みんな、
あの日はどうもありがとう。