モーニングエッセイ19.20年以上前の電車内の風景は今と全く違った。
昨夜、いつも夕食のときに観ている
カジサックチャンネルが
40年前のおもちゃで遊ぼうという企画で
ブタミントンとかチクタクバンバンとか
なつかしい!というおもちゃが出てきて
おもちゃはリカちゃん人形とモンチッチ以外は
買ってもらえなかったわたしでも、
当時、近所の子のうちや
テレビCMでは観ていたので気分が高揚しました。
なつかしさって、当時を思い出すからか
きゅんとなりますね。
今だとエモイっていうのかな?
それも、すでに古いのかもしれませんが。
もうそろそろ、生まれてから半世紀になる身としては、
えっ!あれってもうそんなに前のことなの!?
と驚くことも多いです。
昨日観たおもちゃも40年前!
と、あらためて聞いて
ちょっとびっくりしました。
今がいちばん若い(年齢が減ることはないから)
とは思っているけれど、
100歳くらいのご長寿のかたが
振り返ってもあっという間でした
ということを
インタビューとかで
サラッと話されてるのを見ると
あれって本当のことなんだろうな
と今は感じます。
これから書くことは
昔はよかったという話しではなくて
なんとなくの備忘録として
書いておきたいなと思います。
初めて上京した頃(30年前)
の東京の景色のことです。
わたしは群馬の山に囲まれ、
田んぼの広がる小さな町で生まれ育って
地元で就職しろ!という
母親の反対を押し切って
高校卒業後に上京しました。
その当時は就職した会社の寮に住んで
昼は働いて夜学に通っていました。
こう書くと苦学生っぽいけど、全然。
学費は出してもらっていたので
親の脛をかじって飲み歩いてたような生活なので
褒められたもんじゃありません。。。
でも都会でのあたらしい生活は新鮮でいろいろ経験できて楽しかったです。
反対しつつも送り出して4年間も学費を払ってくれた親に大変感謝してます。
上京してから最初に東京の景色で
カルチャーショックを受けたのは
ホームレスの多さでした。
働いていたのは有楽町でしたが
地下鉄の構内の片隅や高速道路の高架下など
段ボールを敷いて真っ黒のボロボロの姿で寝転がっている人たちや
都庁がまだ出来る前の西新宿の地下道には
ずらーっと段ボールハウスが並んでいました。
家がないひとがこんなにいるなんて!
自分がどんな感情でそれをみていたのかは覚えてないけど、
もっとショックだったのは
身ぎれいにした都会で働く大人たちが
そんな光景の中でも
まるで何事もないように足早に歩いていることでした。
においについては
経験しないとわからないと思うけれど
昔の東京は今より「ウッ」となるシーンが多かった気がします。
田舎の香水(わかるかなw)とは
また違う臭さでそれにもびっくりしました。
においもそうだけど
どんな環境にもずっといると慣れちゃうんですよね・・・。
いつしかだんだんそういった景色も
わたしにとってもまるで風景のようになり
それなりに充実した
めまぐるしい日々の中で
目の端にただ過ぎ去っていくようになりました。
電車内の景色について
今と違うのは
携帯電話が一般に普及する前でしたので
移動の時間潰しに
本や漫画を読みふけるサラリーマンや
学生の数も今よりも多かったこと。
週刊誌などは読み終わると
降車駅に着くときに
さっと網棚に置いていくひとも多くて
それを次の乗客で見つけたひとが手に取って
あたりまえのように読む、
なんてところもよく見かけました。
最終的にはそれをホームレスの方が回収して
駅前で100円で販売してたのを覚えてます。
今思うと、ちょっとエコですよね。うまく循環してた感じがします。
そういった光景も
携帯電話の普及とともに
別の理由もあるのかもしれませんが、
無くなりました。
他には
冬場の電車内でも変化したことがありました。
今、冬に座席に座るとき、上着(コート)を
どんなダウンだろうが
厚くても脱がない人がほとんどですよね。
(ヒートテックが普及して厚手のコートを着る人も少ないですが)
30年前・・・たぶん20年前くらいまでは、
座る際にコートを脱いで膝の上や網棚に置くひとが多かったんです。
それは車内の空調が
今と違ってちょうどよく調整されなくて
暖房が熱かったからというのも理由かもしれませんが
となりの人を気遣って・・・という部分も少なからずあったと思います。
冬場のコートは厚みがあるので
ただでさえ狭いシートが狭く感じられるので。
これをしないひとが
多くなったなあと気づいたのは
一時期、めちゃくちゃもこもこした
ダウンが流行った時期でした。
その頃はウルトラライトダウンとか
無かったので、
ミシュランマンか!
と突っ込みたくなるくらいのダウン姿のひとが
そのまま脱がずに着席してて
その隣のひとも同じような姿で
お互いに脱げばいいのに・・・と
見ていてよく思ったのを覚えています。
ちなみにわたしは体型的にダウンは似合わなかったので
どんなに流行っていても着ていませんでした。
あとは暑くないのだろうか・・・
ということも不思議でした。
都会の電車(山手線は特に)
駅と駅の間が短いので、脱ぐのも面倒なのもわかるけど
じゃあ立ってれば?とも思うし。
地方出身者としては摩訶不思議なことも
多かったです。
ちなみに山手線乗ったとき
駅と駅、近っ!って
突っ込んじゃいましたよ、最初は。
話しは戻り・・・
電車内のコートのことをはじめ
こういう細かなことって
当時よく一緒にいた人に
話してみても案外覚えてない人も多くて
同じ街に住んでいても見ているところは違うのだな
ということをあらためて知ったりもしました。
今のマスク生活でも思うことですが
こうしたことって
自分にとって何が
「快」か?
というところから
個人個人の選択が変わってくるのだなと感じます。
あとは少しの手間を面倒と感じるか?どうか?も。
時代は移り変わっていくし
そんな言葉が一般的に普及する前から
生活様式なんて、どんどん変わってきていたのは確かです。
もうすでに飲食店などでロボットがお運びしてたりする時代なので、
これからどんどんまた変化していくと思うけれど
どんな技術が進歩しようが、
これからは自分にとって、
どういったことが心地よいのか?
そうじゃないのか?ということを
自分でわからないと
情報や起きている現象にどんどん流されてしまいそうだな、
と感じています。
人間って睡眠不足になると判断力が鈍るので
よく眠ることも大切だと思います。
携帯電話でいつでもいろいろ調べたり
繋がれる時代だけど、
自分の意識が体から離れて
お留守にならないように
なるべく歩いたりするのもおすすめです。
わたしも歩くことを
意識的に始めてだいぶ感覚が戻ってきました。
快と、そうじゃないか?を
見極めるセンサーみたいなものが。
これが鈍ると大げさではなく
命取りになりかねない重要案件だ!
というくらいに捉えて日々出来ることを続けてます。
難しいことではなくて
睡眠・適度な運動・食事
をコツコツ積み重ねていくことです。
睡眠も以前は長く眠っていた割には
からだを動かしてなかったせいか
質が悪かったように感じてます。
いろいろ書きましたけど
10年くらい前までは精神論的な
内面のことを書くことが多かったけど
年齢重ねるうちに、
特にここ数年はフィジカルなことに興味が出てきて
そうした視点から物事を考えているなと気づきました。
いろいろと移り変わりつつ生きてきていて
これからも変わっていくのかな?と思います。
そんな個人的な記録としてもこのnoteは活用させてもらっています。
ここでもまたいろいろ書きますね。
よかったらまた読みにきてください。
朝のじかんに、浮かんだこと書くというルーティンを始めようと思いつきました。書く時間はまちまちでも、その中身は朝のじかんに決めていきたいと考えています。
流れでここへたどり着いたあなたへ、通勤のじかん、帰宅のじかん、通学のじかん、家事のじかん、休暇のじかん、1日の終わりの寝る前に…など、いろんな時空を超えて何かの灯火になるようなことを書きたいと希望します。いろんな肩書きや普段の役割を超えた純粋な「あなた」ただの何者でもない「あなた」に届くように。
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