見出し画像

モーニングエッセイ08.自分を愛するということを具体的に言うと。

いつかわたしも滅ぶのだから

着の身着のままの

このからだだけは

せめて大事に想って扱おう。

【モーニングエッセイについて】朝のじかんに、浮かんだこと書くというルーティンを始めようと思いつきました。書く時間はまちまちでも、その中身は朝のじかんに決めていきたいと考えています。
流れでここへたどり着いたあなたへ、通勤のじかん、帰宅のじかん、通学のじかん、家事のじかん、休暇のじかん、1日の終わりの寝る前に…など、いろんな時空を超えて何かの灯火になるようなことを書きたいと希望します。

二年前、モーニングエッセイと同時期に「水曜日のエッセンス」というタイトルでマガジンも書いていました。

自分で読み返してみても、いろいろ先取り?したことが書いてあるなと思うし、2022年の今でも古くないことが書かれていると思います。

ですが「エッセンス」とは

ぎゅっと抽出した本質的要素なので

基礎的な部分はだいぶ省かれています。人によってはなんのこっちゃ?

というお話かもしれません。。。

気になる方はよければご購読くださいね。



できるだけわかりやすく伝えることをモットーにメッセージを伝える活動もやってきたつもりですが、本質的な、根源的な部分に近づけば近づくほど

わかりやすく伝えるということが

ものすごくエネルギーを使う作業になってしまってそっちに偏りすぎてからだも蔑ろにするような本末転倒な時期もありました。

今思えばかなり命を落としかねない危険な時期もありました。

もともとのそこまで頑張れない人としての不真面目な性質が休むということを無意識に選択したのだなと気づきました。それでなんとかやってこれたんじゃないかと思っています。

同業者の中には地球を卒業してしまった友達もいます。

あの優しくてとても純粋なひとたちにこのセカイではもう会えないんだなと感じるとさみしいし

スピリチュアルな感覚とか意味とかそんなことはどうでもよくて

まだ生きていてほしかったな、また会いたかったなというのが本音です。

あの笑顔がもっと見たかったし、

どうでも良い話しをして昼から少しお酒飲んだりして

まだ一緒に遊びたかったな。

残ったわたしが出来ることってなんだろうか?と考えることもありました。

その答えはまだ明確には見つからないけど、

両親がこの世から旅立ってからは特に

自分を愛することの意味を実感しています。

画像1


正直、母親とは特に最後まで分かり合えなかったし

なんでかなあ?と感じることはたくさんありました。

でもそれでよかったと今は感じています。

分かり合えないからこそ、わたしはわたしとして生きられたんだ。

母親のエネルギーは強大で

たぶんいちばん愛していたのは長兄のことで

その支配に純粋な部分では従っていたような兄も

根本的な部分では自分を通してマイペースだったから

母は母で自ら病気を作り出してしまうほどに

苦しかったんだろうなと思います。

今ならその仕組みがわかるけど、母が元気なうちには気づかなかったことです。



自分を愛せないという自覚がないひとでも

自分のからだやこころを蔑ろにするような生き方を無意識にしているひとが多いと思います。

親との関係性がどうなのか?は離れていても

自分の人生に大きく影響すると思います。

それはなんでなんだと思いますか?

誰もが「からだ」は両親からもたらされたものだから。

DNAとか遺伝とかそういったこともありますが

もっと単純にだれしも産みの親がいる、ということです。

親からダウンロードされてきたものの影響力は強大なので

繰り返し繰り返し、書き換えていかないといつまでも同じところをぐるぐると抜け出せないかもしれません。

じゃあ、どうすればいいのか?というと

自分を愛する努力をすること。

これまでの人生でいろいろあって親のことは許せなかったり

愛せないひとも多いと思います。

そして親を愛せないと

その親の影響を受けたからだ(つまり自分自身)も愛せないのは

しごく当たり前のことです。

いつも自分が望んでいることと逆のことを選択してしまったり

自暴自棄になりがちなひとにその傾向が多いかもしれません。

だからといって

親を許せ、愛せとはわたしは思っていません。

親を愛せないまま

自分を愛そうとすればいいんです。

愛されなかったと感じているなら

せめて自分自身で自分のことを愛そうとすること。

愛するって言葉が重ければ

「大切にする」ということ。

それはたとえば具体的にいうと

飲みすぎ、食べ過ぎているなら控えること。

少し早く寝て少し早く起きること。

風呂上りにタオルでごしごし体を拭かないで優しくふき取ること。

嫌だと感じていることを一つでも止めること。

自分へのご褒美がからだにとってはどうなのか?立ち止まって考えること。

どうせわたしなんかとか言わないこと。

もう歳だからとか歳のせいにしないこと。

自分に寛容で他者にもそうであること。

なにも大げさなことは一つもなく

いつでもだれでも出来ること。

だけどなぜか蔑ろにしてもっと難しく考えてしまっている・・・

いえ、いたんです。わたしも。

でも・・・

いつかわたしもこのセカイを卒業するときは必ず来るのだから

それまで自分を大切に生きよう。

それ以外、さして重要なことではない。

親が亡くなったときに心底そう感じました。

もしかしたら、何か心残りがあっただろうな(そりゃあ人間だからあったでしょう!)と思う両親や祖父母、もっと前のご先祖さまたちの負のパターンを崩して、オリジナルで生きるための最重要事項だと思っています。

それがしょせん悪あがきの

どこかの時代の祖先のパターンのパクリだとしても

これはオマージュです!!

とリスペクト精神を掲げて堂々をやってやろうと思うのです。

だってわたしたちはこの時代に生まれてこの今の時点まで生き延びてきたのですから。

画像2

本日も自由気ままに書きました。

よかったらまた読みに来てくださいね。

何者でもないあなたの訪れを待ってます。


スキボタン、フォロー、サポートなども

とてもうれしいです。

いつもありがとうございます。







スキボタンも良ければ押してくださいね♫ありがとうございます!サポートしてくださった方には更なるエネルギーの循環が起きますように宇宙設定させていただきます!(感じ方には個人差があります^^)いただいたサポートは活動資金や愛猫のおやつ代などで使わせて頂きます♫