どうやら本当に開催されてしまう東京オリンピックについて、いち市民ランナーの思うこと
2013年に二度目のオリンピックが東京にやってくると決まったとき、僕はこれをきちんと批判したいと考えた。この二度目のオリンピックには一度目(1964年前のそれ)とは異なり、なんの必然性もコンセプトも存在しないように思えたからだ。1964年の東京オリンピックは敗戦からの復興を象徴することで国威発揚を狙うと同時に、高度成長へ向けた首都東京の大改造を前提としたインフラの整備を「爆速化」するための錦の御旗だった。首都高速道路も東海道新幹線も、オリンピックに合わせて急速に整備されたものだ。この都市改造と国土開発自体の評価はさておき、少なくとも1964年の大会には議論に値する明確な意図が、テーマがあった。
しかし、2020年のそれには「何も」ない。斜陽の日本に明るい話題が欲しいといった類の森喜朗的なぼんやりとした精神論と、関係企業や団体のビジネスチャンスへの即物的な期待があっただけだ。そしてそれ以前にオリンピックを用いて国威発揚を行うといった発想そのものに、時代錯誤なものを感じていた。
そこで、僕は仲間たちと、声を上げることにした。ただ闇雲に反対を唱えるのではなくどうせなら建設的な批判を、自分たちならこうするという「対案」を示すことで、「……ではない」という否定の言葉ではなく「……である」という肯定の言葉で行いたいと考えた。そうして生まれたのが僕の主催する雑誌を1号まるまる費やした「オルナタティブ・オリンピック・プロジェクト」(2015年刊)だった。この本については、以前の記事で紹介しているし、こうして二度目の東京オリンピックが強行開催されようとしている状況を考えて、主要部を無料公開しているので、この機会にぜひ目を通してもらいたい。
あれから6年、パンデミックで1年延期されたオリンピックがもうすぐ、開催される。民意を顧みずに、ここまで来てしまったらやるしかないのだという70年前の敗戦と同じようにずるずると、なし崩し的に開催されようとしている。この流れを、どうせ何も変わらないのだからという諦めと、それを露悪的に口にすることが知的で冷静な大人の態度だと勘違いした人たちが後押ししている。
僕はこの6年、この「うっかり呼んでしまった大会のダメージコントロール」のゲームと化したオリンピックよりも、自分の足で走ることに関心を移してきた。声を上げるのをやめたわけではない。ただもう少し根源的なところから、情報社会と自分との距離感だったりとか、自分とこの街の関係だとか、そういったものをきちんと考え直したいと思ったからだ。
そして情報ネットワークから離れて、一人で街を走る時間はいまの僕にとって、一番大事な時間になっている。僕のランニングコースは高田馬場の自宅から出発して、明治通りを南下する。新宿を過ぎて北参道の交差点を東に曲がって千駄ヶ谷の駅前を通り過ぎる。そしてちょうど5キロの地点にあるのが、あの新国立競技場だ。
僕はこの新国立競技場のーーこの無謀で、無計画で、無配慮なオリンピックを象徴するいわくつきの新国立競技場のーー建設が少しずつ進んでいくのを観るのを楽しみにしていた。僕はこの新国立競技場の前で折り返し、往復10キロの道のりを走っていた。そして、定点観測するようにいつもこの巨大建築を撮影していた。僕のInstagramには、この写真が大量にアップロードされているはずだ。(下の写真は2019年2月16日のもの)
僕は今回のオリンピックの東京誘致に反対で、そしてオリンピックという制度と文化にももともと批判的だった。同じ日本人だというだけで、アスリートの活躍に感情移入して涙を流すという発想にいたっては、本当に理解ができずそれをあたり前のこととして生きている人たちとも子供の頃から話が合わなかった。もちろん、素晴らしいランに感心することもあれば卓越したバッティングに惚れ惚れすることもある。しかし、アスリートに感情移入して感動する、というのはやっぱり違和感がある。ずっとそう思っていた。だから「オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」は、ナショナリズムというさすがに錆びつき始めた(からこそ、いま困った再評価をされてしまっている)回路に巻き込まれて、脳天気にアスリートの活躍という「他人の物語」を「自分の物語」に錯覚できる人たち「ではない」僕たちが、どうオリンピックを「自分の物語」として「参加」することができるかという観点から考えた。
「映像の世紀」と呼ばれる20世紀はモニターの中の他人ーーアスリート、コメディアン、俳優、そして政治家ーーの物語がトップダウンに与えられてそれに大衆が感情移入することで大規模な社会の運営が可能になった時代だった。だとするのならば21世紀はのオリンピックはインターネットがそうであるようにあくまで自分が参加することでボトムアップに社会が形成されていく時代を表現しているべきではないか、と考えたのだ。20世紀までのオリンピックが「ばらばらのものたちをひとつでまとめる」ためのものだったとするのなら、21世紀のオリンピックは「ばらばらのものが、ばらばらのままつながること」をコンセプトに据えるべきだと考えたのだ。
しかしあれから6年、この街を自分の足で走る時間を何より大事にしている僕は、ちょっと違う考えを抱いている。あのころ、僕たちはオリンピックに肯定的で、建設的なコンセプトに基づいた改善案を示すことで社会にメッセージを届けようと考えていたが、いまの僕ならオリンピックの「代わりに」何をするかを考えるだろう。こうして、僕が自分で勝手に自分の暮らす街を走っているように、21世紀の現役世代には自分の身体を動かすことで、自分の物語を体験する人が増えているという。ランニングやヨガなどライフスタイルスポーツの競技人口の増加がそれだ。その結果として相対的にモニターの中のアスリートの活躍という他人の物語をカウチポテトしながら眺める20世紀的なスタイルは過去のものになりつつある。
6年前の僕たちは、他人の物語をどう情報技術で自分の物語にするか、「観る」オリンピックから「参加する」オリンピックにするかを考えたが、いまの僕なら市民一人一人が、自分の身体を好きなだけ動かす(あるいは動かさない)ことによって、自分の身体のことや、住んでいる街のことを考えて、それが結果的に平和とか平等とか多様性だとか、そういったものを考えるきっかけになる。そんなイベント(である必要もないのだが)をオリンピックの「代わりに」考えたいと思う。それが本当の「オルナタティブ・オリンピック・プロジェクト」ではないかと思うのだ。
そして、6月に入ると僕の定点観測のポイントである新国立競技場の北側には格子状のフェンスが立てられた。警備上の理由なのだろうけど、ちょっと無粋だなとそのときは感じたくらいだった。しかしその1週か2週あとには白い壁がその奥に出現し視界が覆われて、かなり回り込まないと競技場そのものを視界に収めることができなくなっていた。このとき僕は初めて、この大会の運営者たちは市民にこの競技場を見せないつもりなのだと気がついた。
そして昨日ーー7月3日ーーに雨上がりを狙ってランに出た僕は、あの場所までたどり着くことができなかった。千駄ヶ谷の駅の東側にバリケードが設置され、大会関係者以外はそこから先に進めなくなっていた。こうして市民ランナーは外苑の新国立競技場のあるエリアから閉め出され、僕の定点観測は終わった。
僕はこの措置そのものを糾弾する気は、それほどない。既存のオリンピックというものを考えれば、この程度のことは起こり得るだろう。しかし、僕はこう思う。このような締め出しが当たり前のように行われるオリンピックという存在そのものが、そもそも問題なのだ。この締め出しには、決定的に想像力の欠落が現れている。15年ほど前に上京して、それまでは地方を転々としていた僕は、こうして走ることではじめてこの街を自分の街だと感じ始めてた。僕は週に2度か3度自分の足で走ることで、反対の立場ではあるけれどオリンピックを自分にかかわることに、自分の物語の一部に感じ始めていたのだ。しかしこうして締め出されてしまったとき、僕はやっぱりこの街は自分の街ではないのだなと痛感した。少なくとも、この街の使い方について決定できる立場の人々は、オリンピックによって生もうとしている世界市民のつながりなかに、僕のような市民ランナーは頭数に入れていない。もちろん、想像はしていたことだけれど、それが改めてよく分かってしまった瞬間だった。そして、この街の、大会の行われるこの地区でずっとスポーツを愉しんでいる市民の気持ち一つに目が届かないこのオリンピックは、やはり決定的に大事なものを見失っているのではないかと思う。自分たちから潜在的に「つながる」可能性をもった市民を排除してしまっているのだ。
オリンピックはスポーツを通じて、万国の人々が連帯する平和の祭典だという。今風の言葉を用いれば「分断に抗う」祭典なのだろうと思う。しかし、この大会を通じてーー開催をめぐる一連の迷走を通してーー僕とこの街の距離は確実に広がった。むしろ、競技場の前に設けられたものが示すように、そこには絶対的な「壁」を感じるようになった。このモニターの中の「他人の物語」を眺めるより、自分の身体で「自分の物語」を体験して、発信することに人々の気持ちが以降しつつあるこの時代に本当に分断に抗いたいのなら、まずはこの街を走る人を、歩く人を排除しないこと。むしろ「走る」「歩く」ことからつながりを生み出すこと。そこからはじめるべきだと思う。
僕たちのオルナタティブ・オリンピック・プロジェクトは敗北した。そしてむしろこの「対案」の真逆のオリンピックが強行開催される。だからこそ、僕は思う。次はオリンピック「ではない」方法を対案として考えたいと思う。今度こそばらばらのものたちがばらばらのままつながる回路を、考えてみたいと思う。それが情報技術の応用なのか、政治的なアクションなのか、それとももっと異なる何かなのかはまだ分からない。しかし、本当に必要なのはそれなのだと、僕は視界を遮る「壁」を、オリンピックのために作られた「壁」を眺めながら思うのだ。
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