僕が江東区の自民(維新)支持者だったら、(いろいろ文句はあるが結局)乙武さんに入れるしかないのではと考えるその理由
さて、今週末には衆議院の補選が3つある。与党自民党の「裏金」問題と、選挙区の情勢を掛け算すると、3選挙区とも立憲民主党が勝つ可能性が高い。それは妥当な結果で、長期的にはこの国の民主主義にプラスの効果をもたらすかもしれない。もちろん、島根のあの人が当選するのはむしろ旧自民党の封建的な土着支配を強化するだけじゃないか、とかいろいろな見方はあるのだと思うけれど、そういったことは僕よりも詳しい人がすればいいと思うので、置いておく。
さて、その上で考えてみたいのが東京15区だ。ここには、僕の友人の乙武洋匡が出馬している。よりにもよって、都民ファーストの副代表に就任して……ということなのだけれど、これについては出馬会見直後の動画で、本人と話したのでそちらを観て欲しい。
そして下馬評を見ると、やや苦しい。立憲の酒井候補がどうも優勢なようだ。今回は自民党が候補を立てなかったのだけれど、その影響もあり結果的に保守陣営、というか「左翼ではない」政党の候補者が乱立してしまい、票が割れていると考えるのが妥当だろう。
僕は比例代表は国民民主党、選挙区は僕の暮らしている選挙区の状況からだいたい立憲民主党の候補に入れることが多く、都民ファーストか、立憲かと迫られたら後者を選ぶと思うのだけれど、それでも今回の補選が3つとも立憲民主党が勝つ……というシナリオはあまり「望ましくない」と思うのだ。
なぜならば、このまま立憲民主党がこの3つの補選をすべて制してしまうと、「自民党が金関係の不祥事を起こし、万年野党の左翼政党が政権交代がない前提で少し議席を伸ばすことで、国民が政府にお灸をすえる」という、あの55年体制ーー基本的に誰もが本音レベルでは政権交代が「ない」前提で志向していた、政治的ニヒリズムの時代ーーが完全回復してしまっていることが強く「可視化」されるからだ。
要するにここで立憲が3つとも取ると、「あ、もう55年体制が完全復活したから、政治とかもういいよね」という「空気」が強く確認されてしまうということだ。「平成の政治改革」の30年が「スカ」だったことがより強く白日のもとにさらされてしまうのだ。
これは、僕のような旧「みんなの党」支持者の40代には、なかなか受け入れがたいシナリオだ。平成の30年間の特に後半の15年、経済、外交的にはリアリズム、社会・文化的にはリベラルな「第三極」が日本の政治を変えることを夢見ていた人間には、かなりキツいシナリオになってしまう。
だからせめて、1人くらいこの遺伝子を引き継ぐ候補が、まあ、いろいろ言いたいことはあるのだけれど、議席を獲得しないとやってらんない……。そうは思わないだろうか?
ここまで書けば、僕の意図はもう、明らかだろう。江東区にも、同じような思いを抱いている現役世代は多いはずだ。僕は江東区にあまり知り合いがいない。だからこの記事で呼びかけておこうと思う。
やっぱり乙武さんに、投票するしかないんじゃないだろうか。
彼の圧倒的な知名度なら、当日蓋を開けたら浮動票が大きく動き酒井さんの組織票を覆す……ということがまだギリギリあり得ると思うのだ。ここで乙武さんが当選すれば、平成の政治改革のポジティブな遺伝子は最後の最後で、生き残ることができる。ネトウヨからは売国奴だと罵られ、左翼からは新自由主義者のレッテルを貼られている彼こそが、「経済、外交的にはリアリズム、社会・文化的にはリベラルな第三極」の、希少な継承者なのは間違いない。
もちろん、彼に欠点がないとは言わない。さすがに打算から一瞬で緑色に染まりすぎじゃないかとか、みんな思っているだろうしぶっちゃけ僕も思っている。しかし、僕の知っている彼は必要とあれば(状況が変われば)いくらでも、その緑色の衣を一瞬で手足もないのに器用に脱ぎ捨てるタイプの人間だ(だから、逆に信用している)。
そしてこれを言うとまた友人を失うかもしれないが、維新の会のみなさん。いつも維新を批判している僕が言ってもムカつくだけかもしれないけれど、金澤さんと乙武さん、今から逆転の可能性があるのはどちらか、考えてみて欲しい。おそらく、維新的には表面的にはともかく内心的には全力で2位を狙い、面子を保つ戦いをしていると思う。しかしここでぐっと我慢してみてはどうだろうか。将来的にそれこそみなさんが大好きな「是々非々」で組める可能性があり、単独でも大きな影響力のある乙武さんをこのタイミングで国会に送り込むのは、決して悪い選択ではないはずだ。
金澤さんが、苦労人なのは僕も聞き知っている。しかし、このタイミングで勝ちにいけるのはどちらか、シビアに判断して欲しい。
そして、今も柿沢未途のポスターを剥がさず、彼のカムバックを待っている江東区のみなさん。水面下で、どんな動きがあるのかは僕は知らないけれど、長期的なことを考えて欲しい。いろいろ義理とかあるのかもしれないけれど、もし柿沢未途がしっかり罪を償い、すべてを告白した上で、再挑戦を試みたとき、誰が一番気持ちよく彼の「再挑戦」を認めるかを想像して欲しい。一度地獄に落ちて、そして這い上がってきた人間は、少なくとも他の人よりも「再挑戦」に寛容に振る舞うはずだ。僕はそう、信じている。