「遅いインターネット(先行公開)」#1 オリンピック破壊計画
これから、僕が来年の2月に出版する新刊「遅いインターネット」の原稿の一部を発売までに10日に1回くらいのペースで公開していこうと思う。出版まではまだ少し時間があるのだけれど、先行公開して反応を見てみたい、という気持ちが強い。原稿はいまブラッシュアップしているところなので、実際に本になって読者が手に取るものとはもしかしたらだいぶ変わってしまうかもしれない。仮にそうなったときは、思考の原型というか製品のプロトタイプが公開されていると思ってほしい。結論ではなく思考の過程を追うこと、完成品ではなく未完成品を手に取ることにも意味はある。これを読んでいるあなたが潜在的にでも何かを書いてみることに興味を持っているのなら、なおのことだ。その意味でも、完成された本とこの原稿とを読み比べてほしいと思う。
遅いインターネット
序章 オリンピックが来る、その前に
■オリンピック破壊計画
走ることが好きで、週に二、三度は朝に都内を走っている。
自宅のある高田馬場から走り出して、西早稲田から明治通りに入って新宿方面に走る。そして総武線にぶつかったところで線路沿いを左折するのがいつものランニングコースだ。そして自宅からちょうど5キロほど走ったあたりで、右手に千駄ヶ谷の国立競技場が見えてくる。新宿御苑と神宮外苑の間にあたるこの付近は緑が多い。そして静かな高架下の日陰を走っていると反対側に突然巨大な建築物たちが次々と現われることになる。その一番奥にそびえているのが、建設中の新国立競技場だ。
僕はしばらく前からこのいわくつきの競技場の建設現場を走りながら眺めるのが密かな楽しみにしていた。巨大な建造物が通りかかるたびに少しずつ、しかし確実に完成に近づいていくことに他人事ながらちょっとした満足感を覚えている。だけどその一方で、いつも考えることがある。こんなものは壊れてしまえばいいのに、と。工事現場の前を通り過ぎながら、僕はいつも完成間近の国立競技場が爆煙を上げて、燃え上がるさまを想像している。和のテイストを部分的に取り入れて、木材をたっぷりと用いたこの建物はきっとよく燃えるだろう。真っ青な夏の空の下、黒い煙を上げて燃え盛る競技場の上をカラスのように真っ黒な戦闘ヘリコプターが飛び去っていく場面を、いつも思い浮かべている。
気がつけば、2020年の東京オリンピックまであと1年足らずにまで迫ってしまった。
この間に、天皇が譲位して元号も平成から令和へと変わった。新しい時代がここからはじまったかのように、目を輝かせて語る人も多い。だけど、実際のところはこの国は何も変わってはいない。平成は終わっても、「失われた30年」が終わったわけではない。もちろん、それを終わらせるためにこそ、まずは気持ちをいったんリセットしたいと考えるのはよく分かる。でも、気分だけが先走って実体が伴っていないことを、本当は多くの人が感じているはずだ。僕が改元にも、2020年のオリンピックにも空疎さを感じているのはそのためだ。ただ、この後ろ向きのモードをリセットしたい、という気持ちだけが空回ってしまっているように思えるのだ。
そもそも、この2020年の東京オリンピックは何のために行われるのだろうか。オリンピックはそれ自体が目的である――「参加することに意義がある」というオリンピックの創始者(クーベルタン)の言葉にあるように――と考える人もいるだろう。
だけど、現実はもっと生々しいものだ。現代の規模的に肥大したオリンピックは、国家を挙げた一大事業だ。オリンピックはある時期から参加国と競技種目の増加にともなってそれ自体ではどう考えても採算の取れないものに、いや、それどころか開催国、開催都市の財政に致命的なダメージを与えかねないものになっている。
それはオリンピック開催の経済効果をもってしても賄えないもので、たとえば1976年のモントリオールオリンピックでは競技場の整備などが市や州の財政を圧迫し、その結果、住民たちはその後に約30年にも渡って、不動産税やたばこ税の高騰に苦しむことになった。この問題を解決すべく1984年のロサンゼルスオリンピックで大胆に導入されたのが、テレビの放映権料でマネタイズするというビジネスモデルだ。その結果として、いまや一部の競技のルールや開催時間はテレビの生中継に最適化されるかたちで改変されているというから驚きだ。そう、現代のオリンピックは何よりまずテレビショーなのだ。そして、この莫大なテレビの放映権料をもってしてもなお、年々規模が巨大化する現代のオリンピックは基本的に開催都市にとっては不採算な事業になっている。
インターネットによって失った未来をインターネットによって取り戻す
インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた。しかしその弊害がさまざまな場面で現出している。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例だ。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには、今何が必要なのか。気鋭の評論家が提言する。
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