阿部真大『会社のなかの「仕事」 社会のなかの「仕事」』についての思考メモ(のようなもの)
「DX」の前に「脱JTC」を
少し前のことだけれど日本人の働き方というか、サラリーマン文化と情報技術をテーマにしたトークセッションに参加してきた。主催者から与えられたテーマは国内の産業界においてDXによる業務の効率化がなぜ「うまくいかないのか」というもので、僕は主にその背景にある戦後的な(男性)会社員文化について論じた。かいつまんで述べるなら、要するにDX化の歩みが遅いというのは表面的な現象に過ぎず、本当に変えなえればいけないのは、この国の産業界の労働観ではないか、という話をした。
「飲みニケーション」、とりあえずやめませんか?
どう考えても今日の知識社会、情報社会とも、そして現代的な家族観や人権感覚とも相容れない男性中心のメンバーシップ型の雇用の弊害は長く指摘されている。会社という「共同体」の一員であることにアイデンティティを見出し、個を埋没させ、職業を問われるとなぜか会社名と役職名を答える。「個」を見失い、集団のネジや歯車のような部品の一つであることにむしろ誇りを持ち、自分で考える力を手放してしまったJTC(ジャパン・トラディッショナル・カンパニー)の「社畜」たち。会社に居残る=仕事をしていると見なされる世界に疑問を持たず、「飲みニケーション」が社会の潤滑油であると信じて疑わない昭和脳。そういった労働文化が変わらない限り、「働き方改革」も「DX」も思うように進まないのではないか。あるいは、進んだとしても形式的で、骨抜きのものになるのではないか……。こうした問題提起をした上で、意見を交換してきた。
「くたばれ、JTC」その前に
ただ残念ながら今回書きたいのは、こうした「くたばれ、JTC」と古い文化をこき下ろす文章ではなく、ちょっと横道にそれた話だ。この少し後に阿部真大の『会社のなかの「仕事」 社会のなかの「仕事」~資本主義経済下の職業の考え方』という本が発売された。僕は彼がバイク便ライダーの労働文化の研究をしている頃からの愛読者で、彼のFacebookで少し変わった新刊が出ることを知り、発売してすぐに手に取った。そして期待通りここで阿部が展開している議論はユニークで、いろいろ考えさせられたので思考メモも兼ねて少し僕の考えを書いてみたい。
阿倍のこの本は従来の彼の研究ーー「やりがい搾取」と俗に呼ばれる自己啓発的なマネジメントの文化の背景にある社会構造の分析ーーを、労働文化史的な視座を交えて大きく拡張したものだとひとまずは位置づけることができる。前提として、阿部はここで「昭和に戻す」ことを是としない。池井戸潤の小説が代表する、先程の僕の表現を用いれば「JTC」の構造は今更詳述する必要もないだろうが「やりがい搾取」の代わりに会社という村落的な共同体への同一化が機能しているものであり、そして更にその背後には戦後日本の建前的な男女平等の中で進行した性搾取の問題がある(「内助の功」的な発想に疑問を持たない半沢直樹の保守性)。
「昭和に戻さずちゃんと働く」ための知恵
では、どうするのか。その上で、阿倍がここで提案する「やりがい搾取」的なアプローチに対する抵抗の方法は大別して3つある。
1つは「仕事」を社会と自分とのつながりを確認するためのものとして再確認することだ。本来の人間は会社のために働くのでもなければ、ときにモンスター化する客に無制限に奉仕するのではなく、「自分」のために働くのだ。社会に貢献し、その対価を得る。この原理はときに経営者にとっては労働者を効率よく滅私奉公させるためには邪魔な存在になる。あるいは「客」という立場を悪用して誰かを殴りたいひとにも邪魔になる。だからこそ、私たちはこの原理を忘れてはならない。それが阿倍の主張だ。
2つ目は、1つ目の原理が損なわれないための知恵として、「働き方」の決定権をより現場に預けるための運動を展開することだ(具体的に阿部はここで労働組合のアップデートを提唱している)。
そして3つ目が「ユーモア」の導入だ。既存の制度に対し「不真面目に」アプローチすることで有名無実化することだ。
これらのアプローチによって、労働者は「組織人」ではなく「職業人」として自立することができるーー。これが阿倍の本書における主張の骨子だ。後半では、より具体的な提案として、阿部自身が教員(組織人)でもあり、研究者(職業人)でもある自分の仕事のバランスをどう確保してきたかという経験から有効だと判断された制度や、グローバルエリート(クリエイティブ・クラス)でもなければ、JTCの「社畜」的な旧来の労働者でもない第三の道として(つまり「意識高く」なって「成功」しなくても可能な生き方として)「パートタイム田舎就労」というモデルについて記されている(僕は、ここで阿部が例示している「田舎」である京丹後が若い頃から好きで、その意味でも興味深く読んだ)。そんな中で、僕が最も惹かれたのは3つ目の提案に関連して本書のほとんど末尾に登場するソビエト連邦末期の労働者文化の紹介と、それについての考察だ。
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