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あなたに染み付いた「ガンダムの匂い」を消させてください(『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』と、改めて考える安彦良和論)

『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』をこの日曜日に見て来たので、その雑感を通して安彦良和という作家について改めて考えてみたい。

 最初に断っておくがこの『ククルス・ドアンの島』は、それほど優れた作品ではない。たしかに同じ安彦良和による初代『ガンダム』の語り直し(『The origin』)シリーズの中ではもっともCGを用いたモビルスーツの描写がこなれているし、物語も「よくまとまって」はいる。しかし、「それだけ」だ。僕は、ある時代を席巻したアニメーターとしての安彦良和の、そしてそれ以上に漫画家安彦良和のそれなりのファンのつもりではいるが、はっきり言ってしまえばこの『ククルス・ドアンの島』は演出家としての安彦良和の貧しさを証明した作品、として位置づけられてしまうだろう。しかしこの失敗は、安彦良和という作家について考える上で、それなりに有意義な視点を与えてくれると思う。

 まず分かりやすく、しかし細かいところからはじめよう。この映画の目に付きやすい欠点は悪役の造形だ。実質的な主人公のククルス・ドアンの元部下たちが、彼の隠れ住む島を襲撃してドアン、アムロのタッグと戦闘を繰り広げるのがこの物語のクライマックスなのだが、このドアンの元部下たちがまるで『北斗の拳』のつなぎの回に出てくるチンピラのような造形で、ほとんど想像力を行使していない、まるで首からプラカードを下げて「悪役です」と書いてあるような悪役だ。これは、残念ながら安彦良和が原作にあたる『機動戦士ガンダム』TV版の第15話『ククルス・ドアンの島』がどのような作品か、あまり理解していないことを証明している。いや、インタビューなどではいろいろ理論武装したものを話しているのかもしれないが、少なくとも映像になった段階では失敗しているのだ。

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