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僕たちは「コロナ禍」に一度負けた

昨日、丸若裕俊さんと久しぶりにゆっくり話す機会があった。彼とは同世代で、かかわっている分野は違うけれど、彼を紹介してくれたチームラボの猪子寿之さんもそうだけれど、同じような問題意識を持って活動しているプレイヤーだとずっと思っている。

そして昨日は不意に、お互いのこの10年くらいーー「震災」から「コロナ禍」までーーの活動を総括するような話になった。そこで僕が強く感じたのは、僕たちは「負けた」ということだ。これはお金がどうだとか、社会的地位がどうだとか、そういうレベルのことではなくて、もっと抽象的なレベルでのことだ。

要するに僕たちは「震災以降」、つまり2010年代の(特に後半)を過剰接続(千葉雅也さんのいう)への抵抗に費やした。マスメディア的なトップダウンのポピュリズムに対し、SNS的なボトムアップのポピュリズムで対抗するーーそれが震災「前後」のビジョン、つまり「動員の革命」(津田大介さんのいう)だったはずなのだけれど、それはたちまちマスメディア以上の(正確にはマスメディアをその一部に取り込んだ)ボトムアップの全体主義ーー巨大なムラ社会による相互監視によるーーを呼び起こしてしまった。

そこで僕たちは接続されることではなく切断することで、「抵抗」した。正確に言えば僕の場合は、切断するのではなく「速度」を落とすことで時間的な「ズレ」を、巨大な「世間」には同期しないメディアをつくることでの「抵抗」を考えた(遅いインターネット)。丸若さんで言えば、それは渋谷の「GEN GEN AN」という文化村通りの店舗だったと思う。東急が駅前にバベルの塔を次々と建てていく時代に、彼は衰退する文化村通りを「借景」に用い、室内は20世紀レトロな空間をつくりあげた。それもまた、別の時間の流れを渋谷という都市の中に置く実験だった。しかし僕たちのこうした試みは敗北した。何に? もちろん「コロナ禍」にだ。

今思い出しても、コロナ禍の力は圧倒的だった。ウイルスの感染力ではなく、それに踊らされた人間たちのインフォデミックが圧倒的だった。僕は人々の不安を金と票に変えるために、他の人々を煽っていた人々のことを忘れていない。たとえば「それは大したことではない」と述べて人々を安心させることで課金させようとしていた人々や、「新しい生活様式は格差を拡大する」と正義を気取っていた人たちのことを忘れない。古い生活様式に戻したとき、真っ先に感染するのは食堂の配膳係と劇場のモギリだ。新しい格差には新しい再配分でしかケアできないのに、「新しい生活様式」(の主役になるIT産業)を批判するために、このようなポジショントークを弄した人たちを、僕は心から軽蔑する。

しかし本当に重要なのは、こうした各論ではなく人々の怯えが、未知のウイルスの脅威という検索しても「分からない」ものへの怯えが、世界をかつてないレベルで「同期」させてしまったことだった。それは、僕たちの「抵抗」を一瞬で飲み込むような強い、強い力だった。こうして僕たちの試みはコロナ禍に飲み込まれ、敗北した。

そして2020年代も半ばになろうとしたいま、僕たちは少し別のことを考え始めている。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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