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なぜ、Web2.0下の民主主義はうまくいかないのか:疫病と戦争の時代と脱プラットフォームの思想|宇野常寛

おはようございます。今朝のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の特別寄稿をお届けします。
なぜ今日の情報環境における民主主義が行き詰まっているのか、『遅いインターネット』刊行後、コロナ禍を経たこの2年間で宇野が情報社会について考えていたこととは? 10/20(木)発売の新著『砂漠と異人たち』の概略とともに論じました。

※宇野常寛の新著『砂漠と異人たち』が好評発売中です!

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情報社会を支配する相互評価のゲームの〈外部〉を求め、「僕」は旅立った。
そこで出会う村上春樹、ハンナ・アーレント、コリン・ウィルソン、吉本隆明、そしてアラビアのロレンス――。20世紀を速く、タフに走り抜けた先人の達成と挫折から、21世紀に望まれる主体像を探る「批評」的冒険譚。

なぜ、Web2.0下の民主主義はうまくいかないのか:疫病と戦争の時代と脱プラットフォームの思想|宇野常寛

ブレグジット/トランプの衝撃が世界を揺るがした2016年から6年、コロナ・ショックとウクライナ戦争の渦中にある世界は、未だにリベラル・デモクラシーの乗り上げた巨大な暗礁に戸惑い続けている。

その背景に大きく存在しているのがWeb2.0、とりわけSNSプラットフォームの中心化以降のインターネットとの相性の「悪さ」である。今回はこの問題をちょっと変わった角度から考えてみたい。具体的には、コロナ・ショックとウクライナ戦争から浮上する、情報と人間の不幸な関係とその突破口の手がかりを僕の前著『遅いインターネット』の議論をアップデートすることで、探り出してみたい。

1.おさらい──2016年の敗北の問題(ブレグジット&トランプ)

 一般論だが、現在はグローバル化&情報化(この二者はセットである)のアレルギー反応のフェイズだと考えられている。アレルギー反応とは、状況がより加速するからこそ大きくなる摩擦の現れであって、決して流れが逆行しているのではないことに留意が必要だ。ある視点から見れば、グローバリゼーションは国際格差を縮小しているのだが(南北格差の縮小)、日本やアメリカのような20世紀の先進国においては概ね国内格差を拡大する(加工貿易によって安定していた、先進国戦後中流が没落する)側面がある。この国内格差の増大が、アレルギー反応の主原因だとされている。

 ローカルな国民国家からグローバルな市場へ。世界をもっとも強い力で動かす力はこの20年で大きく変化した。ローカルな国民国家に対する政治的な、時間のかかるアプローチ(革命)から、グローバルな市場に対する経済的な、時間のかからないアプローチへの変化だ。この、市場から社会を変革させるシリコンバレーの情報産業の精神を、ヨーロッパの左翼たちは「カリフォリニアン・イデオロギー」と名付け批判した。それは西海岸のヒッピーの脱社会性(サイバースペースに失われたフロンティアを求める)と、東海岸のヤッピー(スマートな経済人)の野合であり、資本主義に対する批判精神の喪失であるというのがその批判の骨子だが、皮肉なことに(良くも悪くも)このカリフォルニアン・イデオロギー的なものがもっとも強い力でこの20年間の世界を変えてしまった。そして、その変化で割を食った人々の反乱が始まったのが、あの2016年だった。それが、ブレグジットであり、トランプだった。

 イギリスのジャーナリストのデイヴィッド・グッドハートはブレグジットを分析した『The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics 』(2017年)で、世界はAnywhereな人々(どこでも生きていける=グローバル化に対応したクリエイティブ・クラス)とSomewhereな人々(どこかでないと生きていけない=対応できないそれ以外の人々)に二分されている。そしてブレグジットはSomewhereな人々のAnywhereな人々への反乱であり、つながりすぎて、ひとつになりすぎた世界をもう一度、ばらばらにしたい、という訴え(そのため排外主義とも結びつく)というのがその診断だ。同じことが同年のドナルド・トランプのアメリカ大統領当選にも結びつく。比喩的に述べればシリコンバレーのアントレプレナー(Anywhere)に対してラストベルトの自動車工(Somewhere)が反乱を起こしたのだ。
 このときSomewhereなラストベルトの自動車工はオバマケアを廃止するトランプを支持した。それはなぜか。理由はそれが実のところ経済ではなく、承認の問題だからだ。
 グローバル資本主義というゲームのプレイヤーにはなれないSomewhereな人々が唯一社会変革に参加できるのが民主主義だ。そのため、Somewhereな人々はより切実に自分も世界に関与できるという実感を求めて政治に参加する。そしてその切実さと結びついたのが、今日の情報技術なのだ。

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▲デイヴィッド・グッドハート『The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics 』(2017年)

2.インターネットと民主主義

 いまとなっては、インターネットと民主主義が電子公共圏を用いた直接民主制の夢として、楽観的に語られていたのは遠い昔のことのように思える。ただ、2008年のバラク・オバマのアメリカ大統領当選時のインターネット利用は、むしろこうした明るい未来へのステップとして紹介されていた。オバマがインターネットを通じた、個人献金の爆増に支えられて当選した大統領であることは広く知られているが、それはインターネットがマイノリティたちの声なき声を可視化するという「夢」を実体化した結果であると考えられていた。

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▲井上明人『ゲーミフィケーション:<ゲーム>がビジネスを変える』(2012)

・2010年代=「動員の革命」@津田大介の時代

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▲津田大介『動員の革命 :ソーシャルメディアは何を変えたのか』(2012)

 続く2010年代のSNSを用いた市民運動──アラブの春、雨傘運動、日本の反原発デモも、当初は民主主義のアップデートとして肯定的に捉えられていた。しかしアラブの春は独裁政権を打倒し、大きな成果を上げるが、その副作用のポピュリズムでどの国も泥沼化する。あれ、こんなはずじゃ……と多くの人が思った。このあたりから、SNS×民主主義はマズいのではないか、という暗雲が出始める。
 そして迎えた2016年の大統領選挙では、情報技術と民主主義の組み合わせのもたらす絶大な威力が悪い意味で証明されることになった。主にトランプ陣営のフェイクニュース攻勢と、Facebook等の個人ターゲティング広告の威力は絶大だった。オバマの開けたパンドラの箱を、トランプは最大限に活用した。こうして、SNS×民主主義はいよいよヤバいことが顕在化したのが2016年だった。欧米諸国を中心に、プラットフォーマーを規制し始めるが、当然決定的な歯止めにはならない。なぜならば。SNSのポピュリズムは大衆の欲望の問題だからだ。そして2020年、世界に「コロナ禍」がやって来た。

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