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#15 我が家名物合宿3月編

宇宙元旦春分の日ですね!


七十二候は、雀始巣(すずめはじめてすくう)

noteは飾らず気取らず、暦ペースで続けていこうと思います。

ありがたいことに応援してくださる方もおり、一層気を引き締める、どころか一層弛んで、のびのびやらせてもらおうと思います!

それでも、少し調子を変えて、本日は「です」「ます」調でお送りします!



さて、
先週末は我が家名物、合宿をしました。

我が家では、毎月一回住人全員が2泊3日のお休みをとります。

最近考えていること
個人的に向き合いたい行動パターン
職場や家庭での悩み
家の使い方で気になる点
今後の予定
今、頭のなかを占めていること

などなど

ありとあらゆる話したいことを話したいだけ話せる時間を外部からの刺激を極力抑え集中できる環境を作ります。

我が家では、特に理由はありませんがそれを合宿と呼んでいます。

2月は法人の起ち上げと僕らが出会うきっかけとなったプログラムの運営準備が今まで暮らしのリズムに加わった月でした。

それぞれが日頃お世話になっているアルバイト先と家の往復が暮らしのリズムだったところに、みんなのプロジェクトという新要素が入ると今までは見えなかったその人の一面が現れてきます。


その日の職場での過ごし方、家での出来事、読んだ本や会った人とのこと中心から

全く新しい話題が暮らしの場に満ちた日々でした。

集客のこと。広報のこと。HPのこと。法人登記のこと。作業の進捗。数ヶ月を見据えた計画の話し。

暮らしにも大きな変化が起きました。

ご飯の時間が以前より遅くなったり、
作業にのめり込む人は寝る時間が遅くなったり、
洗濯物が山積みのままになったり、
廊下のホコリが目立つようになったり、
役割がバトンタッチしたり、

3月、声を掛け合えればなんとでもないようなことが誰にも成されずそれ違うようななんとなくバラバラした雰囲気が漂いました。

他の人の気持ちをじっくり聴きたくなる余裕や機会がなくなりました。

なんとなく目の前にずっと未来に向かってやるべきことがたくさんあり、気忙しい感じの空気がありました。

これは合宿したほうがいいね、ということで始まった合宿。


部屋を掃除し、物を片付け、食事を作り、お茶を用意し、なんだか懐かしい光景が戻ってきたところで、まず各々最近どんな調子かとたった今、頭の中にあることを気軽に出し合うところからはじめました。

2周3周それぞれが話したいことを話していくと、その人のなかで気になっていたことがみんなのものになっていき、すぅーと誰もが話したいテーマが浮かんできます。

今週末に控えたイベントを一旦白紙で考えよう。

法人起ち上げ、プログラムのウェブ作製、広報をひとまずやってみてどんな変化が心に湧いたかを話してみようという流れになる。

法人起ち上げでけっこう満足した。

プログラムを作るよりHP作りがやりたいことだった気がする。

ライフワークバランスがわからなくなり、気がついたらライフが無くなっていたことに気がついた。

プログラムはそこまでやりたい気持ちなくなったなぁ。

その日のやりたいやりたくないではなく、やると決めた中で、見える自分を観ていきたい。けっこう毎日楽しい。

説明会に来てくれる人に応えていきたい気持ちがある。

プログラムへのやる気がない人だと思い込んでいて、少し気を使っていた。


バァーとそれぞれが振り返るなかで、2つの視点が出て来ました。

  • ひとつは、生活と仕事の切れ目なくなり生活も仕事も疎かになったこと。

  • もう一つは、空間デザインに工夫がなかったこと。


まず、一つ目について。

プログラムのことよりも生活に関心ある人は、仕事場でもあり生活の場でもある空間、例えば居間やキッチンの手入れが仕事人の仕事ペースを気にしてしづらくなり、足が遠のいてしまうということが起きていました。
徴候としては、週末出掛ける頻度が高まる人がでてきたり、帰宅後スマホに向き合う時間が増え会話しなくなる人がいたりしました。

一方で、仕事に没頭していた人は洗濯物よりも炊事よりもやりたいことをやった結果、生活空間への眼差しが無くなってしまいました。
今までやっていたことを複数人がやらなくなり、冷蔵庫を開けてはじめて食材が何もないことがわかったり、買い物の声掛けがなくなったりしました。

没頭したい人が何も心配せず没頭できる環境とそういう力を発揮している人を支える人が気持ち良く動ける環境が理想です。

しかし、
今回は知らず知らずのうちに暮らし派にも仕事派にも生活に不満がうっすら溜まっていったようです。


大事にしたいポイントが違うから、「まぁ、いいか。放っておこう」が繰り返されると、日々の様子を話し合おうという気持ちがでなくなります。
お互いの調子を訊ね合う頻度が明らかに少なかったことが判明しました



もう一つのポイントは空間デザインでした。

一緒に暮らしていて心地悪い空気感が蔓延したのには、生活空間のデザインが下手だったからという視点がでてきました。

僕らは普段、リビンクの長机で食事をともにし、食後はだいたい和室の炬燵を囲んで夜を過ごしています。

仕事場と生活の場という使い分けをする必要性がなかったために、プロジェクトを暮らしの一部に加えてみたところ、オンとオフではありませんが気持ちの切り替えができる場がなく、家中の全ての場所が生活空間でもありオフィスでもある空間になってしまいました。

人がいるとついつい人のいるほうに寄っていってしまう僕らではあるが故の悩みなのかもしれませんが、人が集まったとき話したいことを話せない人が出てきてしまいました。

少し別の言い方をすると、生活の場は6人全員が関わるのでみんなのことが話しのテーマになります。
しかし、プロジェクトに関しては熱量の多少があり、暮らしの中がやりたい人とそこまで興味のない人にわかれていたために、話しのテーマは必ずしもみんなのテーマではなく、一部の人には大事な話し、一部の人には興味がない話しでした。

ところが生活の話しができる場と仕事の話しがしやすい場に部屋を分けるというデザインがなかったために、家全体が興味が湧かない話しが飛び交うつまらない場所になってしまいました。


どんな風に暮らすのも自由な世の中で、わざわざ我慢を募らせて不自由に暮らす必要はありません。

僕らはより快適でより自由になり合っていくために一つ屋根の下の暮らしをやっているのですから、それぞれのやりたいが抑えられてしまっていては本末転倒です。


一つ屋根の下だからといって一つの暮らし方があるわけではなく、それぞれの住民に合った色んな暮らし方がひとつの屋根の下にあっていい、むしろそこを考えたいのです。

それぞれの人に馴染む暮らし。
そこを追究したいという話しが出ました。


のびのび暮らす、それがみんなやりたいのではないか。そこに立ち戻った気がします。


そこから、今の部屋の使い方やレイアウトに我慢や違和感がないか、ゆくゆくどのように家や部屋を使いたいか、用途別ではどのような工夫が考えられるかを聞き合う時間になっていきました。


どんなところでこの暮らしや生き方やっていて、現状どんな感じかぽーんとみんなの前に出してみると、うんうんとなるところ、もっと聞きたくなるところがどんどんでてきます。


気がつくと何時間も経過。


お腹が減りご飯の準備がはじまってはじめて、
「あっ、なんか一体感が戻ってきたぞ」となりました。

これこれ、これがやりたくて集まってるんだよね。と笑顔がこぼれたのが印象的な夜でした。


何が関係をバラバラに感じさせ、何が近く感じさせるのか今回の件だけではまだまだ観察力不足正直なところわかりません。

しかし、 

こうして文字にして経緯を残しておくことで、いづれ誰かが何かの役に立ててくれるのではないかと思います。


思い返せば、生活は約半年で安定してしまい高みを望まなければこのままそれなりに仲良く楽しく暮らしていけそうな状態でした。

しかし、安定したくて支え合いの関係を作りたくて集まったのではなく、本当に自由で自分らしく生ききるために集まっている僕らは正直暇になってしまい、暇だから法人を起ち上げ事業をはじめてみたのです。

案の定、暮らしに新たなスパイスが加わったことで新たな自分の面に出くわし、色んな感情に出くわし試練が起こっています。


これから先、どのような展開になるのかわかりませんが、そのわからなさを楽しみたいと僕は個人的に思っています。

では、また。




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