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#18 天気のような「心」と韓国からの贈り物

雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)


3月弥生も残すところ僅か。

どんな日々だったでしょうか?


暦に合わせてnoteを更新してみた3月は、暮らしを眺めてみる試みとなりました。


皆さんのなかには、常日頃どんな暮らしを、どんな心持ちで、どんなテーマに沿って営んでいきたいかを描いている方もいるかもしれません。


僕にとっては今の自分の暮らしと気持ちをただただ眺めるだけでも、なんだか新鮮な体験でした。


3月は、湧いてくるというか、どこからともなくやってくる気持ちを、はねのけるのでもなく、抑えつけるのでもなく、無視するのでもなく、ただ「あー、いるね〜」と観てあげてみたくなった月でした。


一人で静かにしたい

今は話したくない

こいつのこと嫌いだ

これをやってみたい

人と歌うのは恥ずかしいな

もう帰りたいな


言葉にするとすり抜けてしまうけれども、ドヨンとした感じ、キュッとなる感じ、モヤ〜とした感じ、じんわ〜りした感じなどなど、まるで天気のように本当に色んなのがやってくる。長く留まるやつもいれば、すっーと去っていくやつもいる。


我が家には、先週の木曜日から今週の火曜日まで韓国からのお客さんがきていました。


彼らはタイのエコビレッジで僕らの仲間と出会ってくれた素敵な女性たちで、視察も兼ねて僕らに会いに来てくれたのでした。


その時の我が家の空気はモヤ〜。というよりモヤモヤを抱えた人がそのモヤモヤを有耶無耶にしてしまい話せないままに、またそれを掬い取ってあげられる人が現れないままに時間が過ぎていたタイミングでした。


なんとなく誰も思っていることを思っているままに口に出せなくなっていました。我が家でもときおり集団的にそういうことが起きるんだなと、渦中にいながら、びっくりしていました。


一人二人が閉じてしまっても残りの数人がオープンの場合、閉じた人は安心して徹底的に閉じこもることができ、安心の中で自分と向き合えるからこそ、再びオープンな方、在りたい方へ割とすっと戻ってこれました。


ところが誰しもが互いに対して心を閉ざし表面的なお付き合いに甘んじてしまったところには、互いに対してまだまだ安心していない委ねきっていない部分がたくさんあるからなのではないかなと思いました。


そんな空気を払い除けてくれた韓国からの友人たち。


とってもいいなと思った一言があるので、皆さんにも紹介します。


「イライラしたり怒ったりするのはいっぱい練習してきたから、練習しなくても出来る。

でも、愛でたり、慈しんだり、心を穏やかにするのはあまり練習してきていないから練習が必要なの!」


この言葉を聞いて大きく頷く自分がいました。


人、誰しもが美しさに目を見張り、親や友人、パートナーを大切に思い、大自然に驚嘆し、静寂の心地良さを味わったことがあると思います。人にはそういうことがそのように感知できる力があるのだと思います。


ところが、そういう力を普段あまり使える機会無く生きているの錆付きセンサーが鈍くなるのかもしれません。その代わり、別の力が鍛えられてしまい、そういう力を持っていたことも忘れながら生きていってしまいがちです。


人を愛し、動植物を愛で、美しい物を慈しみ、森羅万象に驚くことができるように出来ている人間。


彼女が言うように、閉じてしまったセンサーの感度を取り戻すには練習が必要なんだと思います。センサー閉じてしまっているだけで今も無くなったわけではありません。


彼女の言葉を聞いてから、目に映る景色、出会う人、耳に入る音、日々の食事までもがなんだか少し前と違った感じがします。

どんな時間が多い人生にしたいのか

もう一度、自分に問いかけてみたくなっています。




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