#7 心を成長させるには
こんにちはボンヤリです。
今日は、
人は結局、「問答できる人」を求めているんじゃないかということを書いていきます。
先日よくお世話になっている喫茶店で、ある知り合いの方とお話ししました。
あれこれ話すうちに、「世の中学ばない人が多すぎやしないか?」という話になって、
何故こんなに情報や物が溢れているのに、自殺者は絶えないし、孤独に不幸になるひとは絶えないのか?
という疑問を投げてくれました。
その方は結局、
「自分しか見えない人が多過ぎる。
仏教や、真の道徳の教育が大切ではないか。」とおっしゃっていたのですが、
聴きながら自分の中にも疑問が湧いてきたのです。
それは、、、
なぜ幸福になるための情報は溢れているのに、自分は不幸だと思う人が絶えないのだろうか?
という問いでした。
少し具体的に言いますと、
今やネットでも書籍でも、幸福論や、世界中の宗教、自己啓発本にスピリチュアル本、心理学書、哲学書、科学書とありとあらゆる情報が手に届く時代です。
つまり、情報自体はいとも簡単に手に入るのです。
僕も、本が好きで、色々読んだけれども、本で自分が変わったと思うことはとても少ないです。
素晴らしい本にも出逢ってきましたが、それで自分が変わる訳では無いと思うのです。
つまり、
本質的な情報に触れたからといってその人が本質的になるわけではない、と言うことです。
そう、幸福論を学んだからといって幸福になるわけではないのです。
「学ばないから不幸になるというわけではなく、学んでも幸福にならない。」
そういう場合があるのではないでしょうか。
僕の関心はそこにあります。
学んでも不幸。かつての僕がそうでした。
どうしてそうなるのだろうか。
その答えこそ、
「問答できる人が居ない」から、だと僕は思うのです。
学んだ情報と、現状の自分の状態との乖離。
これを埋めていこうと人は努力するけれども、1人ではなかなか出来ないのです。
僕は出来ませんでした。
理想と現実の乖離とも言えるかもしれません。
なんでも1人でやろうとする。
ここに罠があるのではないでしょうか。
人の心は独立できない、とある人は言います。本当にそうなのです。学んでも不幸、という状態はここにあると思います。
自立できるはずのないものを自立させようとすると人は迷いの道に行ってしまいます。
心は人と話している間に自然と自立してきます。
「こう思うのだけれど、どうか?」
「いや、こうではないか?」
「こういう場合はどうなるのか?」
人と問答するなかで自然に心の整理がつき、進む道が見えてくるように思います。
僕たちは暮らしの話し合いの中で自分の中が整理され、前に進む力を取り戻すという体験を繰り返ししてきています。
問答する相手が6人いるとも言える暮らしです。
心は独立できない。が、頭、というか思考は独立できてしまいます。
自分1人だけを勘定に入れることも出来るし、現状の心を無視した理想を描くことも出来る。こうなるべきだと、人間存在の生命の矛盾した部分を無視して考えることも出来てしまいます。
しかし、
何度も繰り返しになりますが、心は独立出来ないのです。
これがいくら学んでも、不幸。の正体ではないかと思います。
心は奥底ではいつも人を求めてるし、
人は一人で心を育てることは出来ません。
一生懸命に学び、変わろうと1人で頑張っていた昔の自分に伝えたいことがあります。
まだ、1人で頑張ろうとしてしまう自分にも伝えたいことがあります。
そして今、良くなろう、頑張ろう、変わろうとしているあなたにも届いたらなと思うことがあります。
それは、
こころは独立出来ない。
一人ではなく、人と話してみてごらん。
答えを急がず、問答してみてごらん。
そこに、本当に求めているものが現れてくる、と。