【詩人解説】八木重吉 ─ 神様 あなたに会いたくなった
皆さんは八木重吉をご存知でしょうか。
八木重吉(1898-1927)は、敬虔なキリスト教信者であり、自然や家族を題材に美しいことばを紡いだ夭折の詩人です。
はじめに
彼の詩を一つ紹介しましょう。
この詩を読んで心が震えました。短い文章の中にも魂が宿るのだと確かに感じました。
わずか三行の短い詩ですが、花びらが舞い落ちる情景が、まざまざと浮かんできます。
一文目の「思う」が、二文目では「おもう」となり、最後はすべてがひらがな表記になっています。こうした漢字→ひらがなの繰り返しは、重吉の作品でよく見られますが、この詩では包み込むような柔らかさが巧みに表現されています。
重吉の詩は短いものが多く、一文で終わるものも多々あります。しかしながら、静謐に満ちた純粋な詩は、読む人の心を捉えて離しません。
重吉の生涯
1898年 東京都に生まれた重吉は、学生時代にキリスト教の洗礼を受け、詩作と信仰に打ち込みます。24歳で結婚、翌年には長女桃子、その翌年には長男陽二が誕生。家族を詠んだ詩も多く、長女桃子は詩集の中にも度々登場します。
27歳で第一詩集『秋の瞳』を刊行。幸せな家庭を築き、詩人としても順調に歩み始めた矢先、結核に罹り療養生活を余儀なくされます。病床では第二詩集『貧しき信徒』の編纂に没頭しますが、一年余りの闘病生活の末、1927年に29歳の若さでその生涯を閉じました。残された二人の子も、重吉と同じ病により、十代で早世しています。
温かさと哀しみの共存
重吉の詩の特徴であり、人を惹きつける要因は、詩文の底から伝わってくる深い悲哀にあると私は感じます。
第一詩集の序文です。読者に語りかけることばには温かみがありますが、何よりも重吉が抱えた寂しさが伝わってきます。
夜の静寂の中で緊張がほぐれているのか、あるいは病の症状が治まっているのでしょうか。花のようなものとは何でしょう。妻子を美しい花に例えているのかもしれません。想像力を掻き立てられる素敵なことば選びです。
すべてをひらがなにすることで、足取りの頼りなさが強調されているように感じます。哀しみとともに歩んでゆく重吉の姿が目に浮かびます。
前掲の(花がふってくる)の詩で述べたように、重吉の作品には包み込むような柔らかさや温かみがあります。他方で、哀しみや孤独感もひしひしと感じられます。彼の闘病生活を知った上ですと尚更です。この温かさと哀しみの共存した非凡な詩文が、堪らなく愛しいのです。
重吉が自ら編纂した二つの詩集『秋の瞳』、『貧しき信徒』は青空文庫でも読むことが出来ます。
是非お読みになってください。
あなたの人生に寄り添うことばが、きっと見つかるはずです。
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