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人間の原点を見直す手始めに

 あまり口にしたくないのは、何が何でも資本主義が悪いと言えばいい主義者、と見られるのは不本意だからだ。しかし、根本的な問題になると、どうしても資本主義の成立や発展の歴史と絡み合う。単純な判断は良くないけれども、資本主義が「金儲け」のシステムであることは、一般的に認められている。そこから始めよう。
 考えるまでもなく、商業を営むのは資本主義時代に限らないし、儲けを計算しない商売はない。だから資本主義というシステムを、単なる「金儲け」システムといって分かったつもりでいることはできない。

 そこで、カール・マルクス(1818年~1883年)である。かの『資本論』(1867年)が、商品の分析に始まり、貨幣の意味を明晰にして、交換過程や流通の諸問題の分析に至っていることを思い出す。K.マルクスの批判的考察、新しい経済学の登場を見なければ、資本主義と言われるものの根源つまり正体はつかめない、ということであろう。
 その上での「金儲け主義」である。駆け足するが、資本主義の「金儲け主義」が帝国主義を生み出し、それを支えるイデオロギーを作り出した。弱肉強食の世界、買った、負けたの世界。その競争主義が、植民地拡大の政治的かつ軍事的な運動に連なったことは申すに及ばない。それが大国の登場を現実化する過程であったことを理解することに、さしたる苦労はないだろう。

 フランスのヴォルテール(1694年~1794年)やディドロ(1713年~1784年)たちの自由主義者たち、アナーキズムの思想家たち、その影響下にある活動家たち。彼らが生まれ、やがてK.マルクスらの「共産主義者同盟」(秘密結社、1847~1852)も声を上げる。「金儲け」の思想や社会に、痛烈な批判をもって立ち向かった知識人や思想があったのである。
 実際、当初の会社組織は成り立つや否や、初めから儲けばかりに目をやったと思われる。重商主義から見るとして、1600年設立のイギリス東インド会社、1602年設立のオランダ東インド会社がある。やがて労働者を階級とする社会がうまれ、産業革命がイギリスで始まって、産業資本が社会の基盤となる。その過程は歴史教育で習ったところだが、問題は、「富が増えれば国が栄える」と思ってはいないかということだ。
 「地理上の大発見」という言葉を学校で習っただろう。1492年のこと、覚えている人も少なくないかも知れない。しかし、その「大発見」なるものが何を意味しているのか、感情的な痛みをもって習った人などほとんどいないはずだ。要するに「知識」、試験に出そうな項目として覚えるくらいだったのではないか。
 この時代から、すごい規模と勢いで他の地への侵略行動が始まった。国内需要では足らなくなったから外に向かった、とはよく言われるが、なぜ、始めっから海外進出を狙った供給と言えないのだろうか。歴史とは都合よく出来上がっているものなんだ、という批判もこの面ではあながち無駄ではない。

 余剰があるとは、別の地でそれを利用すればうんと儲かるということに他ならない。その地で特権的、独占的な権力を行使する。もちろん馬鹿には務まらない。あぁこう仕組みを作り、その地を足場に他の地も手に入れようとする。英国が世界に冠たる位置に居たのも植民地をあちこちに作れたからであることは言うまでもない。資本主義を発展させていく国々が同様に振る舞ったことも歴史は教えてくれる。
 それはさておき、先ほど述べた自由主義者やアナーキスト、K.マルクスたちは、こうした資本主義社会の進行形に対して、人間としてどうなのかを問いかけたのである。
 しかし、先進資本主義は帝国主義となり、二つの世界大戦を生じさせ、日本に原爆を落とすまでになった。その軌跡は、システムの発展といってよければ、そのことと無関係ではない。単に抑圧的な面ばかりではなく、国々によって違いがあるから、一緒くたにはできないが、例えば「福祉」における思想と実践がある。

横浜、伊勢佐木町通りで。

 その間、自由主義は新自由主義も含め経済畑の用語となり、アナーキズムは、社会主義者からも嫌われ、共産主義はマルクス(そしてレーニンも)を教条して革命を起こしたけれども破綻した。人間の一生を越える期間、こうして当初の人間的な目標は失われっ放しだったと思われてならない。
 そこで、今こそ「人間的原点」に立ってみなければならないと思うのである。
 思うに、人間を次のような二つの面から考えることも可能ではないか。一つはつかんだ思想や組織にあくまで従っていこうとするタイプ。もう一つは、あくまで自分で納得いく道を探して行こうとするタイプである。仮に前者をAタイプ、後者をBタイプとしておこう。
 AタイプもBタイプも、その人の人格的傾向として見ることができるであろう。どちらがいいとか悪いとかいうのではない。もちろん誰しも両者の傾向を持つだろうし、濃淡もある。だが、これは人の評価の基準となるものの一つだろう。そしてAタイプからは悪しき官僚主義が、Bタイプからは利己主義が生じることも確かだろう。
 次回になるが、この面から「人間的原点」を考え直してみたい。

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  【和久内 明 略歴】
・1947年 横浜市中区生まれ。中学は老松中学(西区)で生徒会長を務めた。現在は、東京都杉並区在住。
・大学は、新しい大学と学問を提唱する梅根悟学長に会って、新設の和光大学に。しかし、まもなく大学は格好の紛争の場となり、党派利害に侵された。大学が目指したものはいとも簡単に否定され、名実なく転落。まことに忍び難い時代だった。
・幸いにも大学祭(僕は委員長)で大いに気があった先生(大学祭の大学側代表者で、後の東大名誉教授)によって、フッサール現象学の泰斗、新潟大学の喰代驥(ほおじろ はやま)名誉教授(東大卒)に付いた。先生は忘れ難い哲学の恩師で、独自の哲学を模索して追究せよと指導を受ける。
・大学祭といえば(当時は光峰祭と呼んだ)、対立する両派から、人の集まる大学祭の場でゲバルト事態を持ち込もうと、委員長の僕にせっついた。たくさんの学友が広い階段と踊り場に集まっていた。それを言論によって回避することに成功し、駅前で沢山の学生に良かった良かったと、何回も何回も胴上げされたことを忘れることができない。
・知識論を考究し、ケンブリッジ出版の世界哲学論文集に『New Research on the Recognition of Human Beings, Based on the Emergent Domain Theory of Knowledge』が掲載される。他に海外も含め論文多数。
・教育は、小さい頃から大学院まで学校教育に縛られない独自性を追求し、東大での物理学博士号獲得(20年以上みた)を始め、問題児まで扱った。
・観世流シテ方の津村禮次郎『中也』、夏樹陽子『M.由起夫』(三島由紀夫を指す)、津村禮次郎・塩高和之(琵琶)・中村明日香(ダンサー 朗読表現)『良寛』の公演戯曲。
・詩集『証の墓標』(日刊現代発行)、詩は数々。海外の詩人会議等に多数出席し、朗読を行う。スペイン語、フランス語、ロシア語訳などがある。
・市民講座『POSS』で、詩文を中心とした英文学、日本文学を講義し、哲学は史的理解を深める講義を行う。
・韓国の国民的歌手チャン・サイクさんは、友人である。何度かお宅(ソウル)にお邪魔した。舞台裏の僕のところに来て「私も詩を歌っているんです。」というのが、第一声だった。
・精鋭社会人の哲学を交えた会『現代知クラブ』を主宰する。

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