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思考力は非常に試されている
「頭の中身」と、前回述べたのだが、しかし、それだけ言うのなら何も言わないのと大差ない。だから、僕の知る「昔」の「頭の中身」はどうだったのか、僕はどう思うのか、話はここから始まる。
思い返されるのは、「頭」の中には、動かしがたいモデルがあったということである。例えばアメリカやイギリス、フランス。そしてソビエト連邦(ソ連)や中国(中華人民共和国)、北朝鮮。それらから離れた思考力は余り求めえなかったのではないかと思う。しかし、「何でも見てやろう」(1961年)という書物がベストセラーになり、大変話題になったことがあった。著者は、後の「べ兵連」(ベトナムに平和を!市民連合)の小田実(まこと)である。彼など、そうした傾向から離れていたのかもしれない。
しかし彼は書いた。北朝鮮「の暮らしにはあの悪魔のごとき税金というものが全くない。これは社会主義国をふくめて世界のほかの国には未だどこも見られないことなので特筆大書しておきたいが、そんなことを言えば、人々の暮らしの基本である食料について「北朝鮮」がほとんど完全に自給できる国であることも述べておかねばならないだろう。」(『私と朝鮮』、筑摩書房、1977年)などと語っているのだから、当時の「先進的知識人」の意識を知る道標の一つにはなるだろう。もっとも、批判者はいるけれども、吉本隆明(1924年~2012年)を忘れてはならない。この偉大な仕事をした人については別に書くことがあるだろう。
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ことほど左様に、日本外からの宣伝に翻弄というか、人々はある種洗脳されていたと言えると思う。疑い深かったぼくだから、信じる人の奥の本音であるモデルを思って、そうかなぁと半ば思うところがあった。言うまでもなく、ぼくもいわゆる左派で共産党にはそれなりの信頼を置いていたが、党首(宮本顕治氏)は嫌いだった。今でも思うのだが、その一連隊は「数」にこだわり、早く政権奪取ができると思い込んでいた。
まぁ、唯物史観という歴史認識があって、中国は「社会主義国」だけれど、マルクス、エンゲルスによれば、高度な資本主義国から必ず社会主義国(要するに、共産党の勝利)になると思い込んでいたのだろう。犠牲者が出るのは当たり前のことだ、彼ら指導者にとっては。(今となっては関係者は痛いところのはずなんだが。)
僕が徹底的に思い至るのは、その類の思い込みがあって、真情から来るにしても、その気持ちに値する考え方と国が現に存在するに違いないという思い込みだ。
そんなものはない。歴史の中にある自分たちがどうであるか、具体的には、モデルをバックボーンにした思考に陥らないことだ。その思考を正しいと思った人々を揶揄するつもりは毛頭ないのだけれど。というのはその諸事情が少しは分かるからなんだが。
今はずっと恵まれた時代だ。ソ連とその圏内にあった諸国は崩壊したし、中国はご覧の通りだし、北朝鮮が共産主義ファシズムの独裁政権であることやその庶民生活の惨めさは分かってしまっているし、米国と英国が犯してきた歴史や、現在の状況を民主主義といって賛美する人々は乏しかろうし。
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だが、そういうことと思考力の発展とはイコールで結べない。関係はあるのだが、残念ながら思考力はむしろ弱まった。先に述べた「真情」を失ってしまった。その替わりがないのだ。いわば「無知(無智)」状態なのだとぼくは思う。これは弱った。言っても反応は弱り切っているだろう。
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和久内明に連絡してみようと思われたら、電話は、090-9342-7562(担当:ながの)、メールhias@tokyo-hias.com です。ご連絡ください。
【和久内 明 略歴】
・1947年 横浜市中区に生まれ市内に生まれ育つ。中学は老松中学で生徒会長を務めた。現在は、東京都杉並区在住。
・大学は、新しい大学と学問を提唱する梅根悟学長に会って、新設の和光大学に。しかし、まもなく大学は格好の紛争の場となり、党派利害に侵された。大学が目指したものはいとも簡単に否定され、名実なく転落。まことに忍び難い時代だった。
・大学中から哲学の恩師、フッサール現象学の泰斗、新潟大学の喰代驥(ほおじろ はやま)名誉教授(東大卒)につき、独自の哲学を模索して追究せよと指導を受ける。
・知識論を専攻し、ケンブリッジ出版の世界哲学論文集に『New Research on the Recognition of Human Beings, Based on the Emergent Domain Theory of Knowledge』が掲載される。他に海外も含め論文多数。
・教育は、小さい頃から大学院まで学校教育に縛られない独自性を追求し、東大での物理学博士号獲得(20年以上みた)を始め、問題児まで扱った。
・観世流シテ方の津村禮次郎『中也』、夏樹陽子『M.由起夫』(三島由紀夫を指す)、津村禮次郎・琵琶奏者の塩高和之他『良寛』の公演戯曲。
・詩集『証の墓標』(日刊現代発行)、詩は数々。海外の詩人会議等に多数出席し、朗読を行う。スペイン語、フランス語、ロシア語訳などがある。
・市民講座『POSS』で、詩文を中心とした英文学、日本文学を講義し、哲学は史的理解を深める講義を行う。
・韓国の国民的歌手チャン・サイクさんは、友人である。何度かお宅(ソウル)にお邪魔した。舞台裏の僕のところに来て「私も詩を歌っているんです。」というのが、第一声だった。
・精鋭社会人の哲学を交えた会『現代知クラブ』を主宰する。
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