みなさん、こんにちは、こんばんは。 あと出版編集Aの授業も残すところあと3回となりました。 今回は最終課題に向けて、自由制作01として「私の信じる世界をつくり、その状況をnoteに書く」という課題が出されました。 正直なところ、今回の課題は今までの課題よりもどういうふうに書いていったらいいかがわかりません。 でも、課題なので率直に、今の自分のまま、ありのままをさらけ出そうと思います。もしかしたらどこか文章がおかしいところがあるかもしれないし、間違っているところがあるか
23歳になった歳。 周りの友人が地元を離れたことで精神的な依存や親からの自立の線引きをよく考えるようになり、これまで勉強ができない自分を責めていたり、声が大きい家族にエネルギーを吸い取られてしまったりすることについての対処法を考えるようになった。 そしてわたしはある種組織的なところで働くことはあまり向いていないのだということ。 自分なりのやり方にこだわる所がある。 わたしはいつもよく青天の霹靂を求めたり 自分と似た人間や、過去に抱いてた気持ちを掘り起こすために本を読んでいた
「自分が自分の親になる」 それはそれは本当に難しいことだよ。 子供の頃から十分に愛された人なんて居ないはずだ。私もそうだし両親もそうだ。 親も子も別物だ。何を是とし何を悪とするのか、はたまた是も悪もない自由なところなのか、フレキシブルな発想ができないんだ。嘘もつけないし人に対しての悪口も言えない。だって人それぞれの立場があるんだから。昨日母と性悪説の話をした。 それは本当なんだよ。昔は性善説を信じていた節があった。人には人の信条があり、守るべきものがある。そこには絶対に踏み込
昨日から、社会人大学という名の、就労支援授業所に通所することが決まりました。 1ヶ月、自分の特性を活かして、自分の未熟さや幼さと闘い、そして体の痛みと闘いながら、少しずつできることを増やしていこうかなと思ったのです。 家でできたことはほんの僅か。 自分の足の障がいについて、自分で認知するということです。なぜなら将来のことを考えた時、自分のことを自分で説明できなければならないからです。 足の障がいについて自分で知る義務があり、責任があると考えたからです。 そのことを理解して
PVL(脳室白衣白質軟化症)の片麻痺である。 1ヶ月ほど前、私は23歳になった。 4月から7月半ばまで社会人として正社員として病院で医療事務職員として働き始めた。 私は目の前で起こるすべてのことに何でも反応してしまうのだ。それに気を取られて前に進めないことがたくさんある。周りの人の会話や、音、匂いなど。 14歳の頃から22歳に至るまで、カウンセラーが在中する心の相談室へ通っていた。 私は正直なところ関西弁が苦手だった。 その大きな壁を何とか乗り越えようと必死だった。 「関西
23歳になった。 其の日朝から空を眺め涙を流していた。 本当に意識が遠のいていく。 遠くに行きたいと。 夕方、メンタルクリニックに行った。 そこで適応障害と診断された。 死と生について考えることが多い職場は私にとってまだ早すぎたのかもしれない。 私の心はいつもなぜだか涙で溢れている。
スピードと効率と、知識が求められる職場についている。 わたしはここで働くと決めたのは、今まで今ついている職場でお世話になったからであり、自分が恩を返そうと思ったからだ。 その恩は知識だけでは返せず、行動となり始めて返せる。 自分が色々な物事に過敏であることを社会は許さない。 働いている人たちも全員家庭で嫌なことがあるとおっしゃっていた。 みんな、みんな頑張っているんだ。 「みんなと同じようなスピードで頑張って欲しい」言われた。 多くのことを頼まれると頭が混乱し、ダメになってし
社会に出てから、3ヶ月が経った。 もう間も無く4ヶ月が経とうとしている。 初めのうちは難なく仕事をこなせているように感じていたが、 仕事に手がつかず、食事もままならず、飲食もできず、吐いてばかりの日が続いた。経口補水液を飲み、栄養に良い食事にし、無理矢理にでも起き、 それでも身体をひきづりながら仕事に向かっている。 家に帰れば、私にとって怖い父親が待っている。 私が人生で犯した罪。それはなんなのかと言うと、足が悪いと言うことで体調を周りに気にかけてほしいという、甘えや傲慢に
崩して喋れないことに違和感を抱いている。そしてその事に悩んでいる。崩して喋れないことに関して孤独を感じている。 相手に気を遣わせているということもわかっているし、崩して喋らないのは未熟な自分を守るための鎧かもしれない。 根っからの関西人なのに関西弁が苦手と感じてしまう。 私は、痛みや怒り、その場の雰囲気、香りや些細な音、色んなことを感じてしまうし、其れを言葉にできないが故に悩みは尽きず、自分の置き場というのもどこにも無いと感じてしまう。処世術として、折り合いをつけるということ
noteを書くのは久しぶりだ。 昨日4年間通った大学を卒業した。 相変わらず勉強が苦手な私だったが、周りの方々の支援があって何とか卒業できた。 私はときどき、人に守られていると 自然に守られていると、感じることがある。 こんなふうに思えるのは、きっと友達からかけられた『ずっと友達でいてな』という言葉や『卒業おめでとう』という言葉があるからだと思う。 いい人に見える人が本当のところどんな人かわからないという言葉が不安にさせる。 私だって全てをめちゃくちゃにしたい心と正し
私は高校生ぐらいの時から漠然と「表現者になりたい」と思っていた。 「表現者になりたい」そう思わせてくれたのは、 一番はやはり、星野源さんとの出会いだったのかもしれない。中学2年生の時に初めて出会い、中学、高校と彼の楽曲、作品、エッセイにできる限り触れてきた。 今は、源さんに対する熱は、そのころよりはだいぶ薄れているのかもしれないけれど、人生のキーパーソンであるとは思う。 源さんはミュージシャン、俳優、文筆家(エッセイスト)と活躍するなど 幅広く活躍している。その点において
突然だが皆は青春と言ったら何を思い浮かべるだろうか。 その答えは人によって異なってくると思う。 私にとっての理想的な青春は、音楽について語り合ったり、勉強を教えあったり、テスト勉強をしたり、週末には音楽好きの友人とレコードショップやCD屋に出向き、色んな音楽を知ることだった。 こんな青春は多分もう二度と訪れないんだと思うし、夢見がちな青春だとも思う。 残念ながら自分にはそんな青春はほとんど皆無だった。 友人と音楽について語り合うことが出来なかったのがいちばん悔しかったが
高野悦子「20歳の原点」。 私のバイブル。 新潮文庫版で、わかりにくかったところ(学内闘争)の解像度を上げるため、コミック版を地元の図書館で借りた。(まだ少ししか読めていないが) 新潮文庫版を読んだ当時、19だった私は、あらゆることに(主に学内闘争)問題意識を持って生活していた、熱を持って生きていた高野はじめ、その当時の日本のみならず世界中の学生の生き様に強く共感した。 私も熱を持って、生きたかった。 熱を持てず生きられなかった自分を責めた。 心に燃えたぎる熱をどうにか放
今私は22歳。 生物学的な性別は女性だけれど、 他の人から、女性と見られたくないという意識があった。 これが男性であっても、女性であっても。 あとは、「男」や「女」ということばを使っている人が苦手。 (小説や歌詞ならまだOK。あくまでも話し言葉の男、女というのが苦手。) 過去の恋愛経験や見てきた男性にトラウマがあるからなのかもしれないと考えることがある。 女性に見られたくないという意識もありつつ、 男性と女性という二つの枠組みに当て嵌められたくない、(男女二元論的(最近
最近ずっと考えていることがある。 それは人とのつながり方である。 私は一人で過ごすことが多い。だからこそなのか、 本当はいろんな人と話したり遊んだりして関わりを持ちたいという気持ちは たくさん持っている。けれど人を心の底から信じることができずに苦しい。 人に話しかけたい、その好奇心だけは人一倍昔から強かった。 なのにコミュニケーションがうまくいかないことが多かった。 一人で過ごしていると、考えが頭や体を支配し、何もできなくなってしまう。 そして昨日もまたアルバイトで言われ
賢くなりたいのに、体力と気力が足りない