他人の夢は追えない
こんにちは、wakoです!
今日は社会人2年目の私が、会社員になってからの気づきを綴ります。
就職、転職に悩んでいる方は何かの気づきになれば幸いです。
なんて、24歳が何を言っているのやら。
会社の話(ここは読み飛ばしOK)
2024年6月に組織編成が行われ、部長が変わりました。
それまでの部長は我々を引っ搔き回し、去っていきました。
旧部長時代、飲みの席ではその人の名前が多く上がり、皆不満をぶちまけていました。正直私は部長と関わることはあまりありませんでしたが、課長ともなると、かなり面倒なことに巻き込まれているようでした。
そんな部長が去り、新たに部長に専任されたのは、社内でも好評のレジェンドでした。
編成時、決起集会が行われ、新部長から熱いお言葉を頂戴しました。
私はこのとき気づいてしまったのです。
感情が湧かない・・・
熱いことを言う人が苦手というわけではありません。学生時代、部活では私も熱い言葉を発していたと思いますし、人のそんな言葉に心を動かされてもいました。
そんな私の感情が0になったのです。
組織編成が行われる前から、部長の引継ぎとともに課長の仕事量は格段に増えていました。部長が細かくメスを入れるようになったのですが、課長はかつてないほどのやる気に満ち溢れていました。
そんな姿を見て、
上司のためにここまで必死に仕事ができるのか、すごいな・・・
と思いました。
だから少し期待していたのだと思います。
2024年6月を。
・・・・・
いつもは思ったことを口に出せる私が、分からないことは何でも聞ける私が、1時間の決起集会では一言も発しませんでした。
これからの方針がメインでしたが、何の質問も浮かぶこともなく、「無」という状態を実感するほどに、私の心は"そこ"から消えていたのでした。
その日を迎えるまで気づくことのなかった、自分の心のありか。
社会人になり、よく言えば冷静に、悪く言えば冷めた人間になったのかとも思いました。
しかし、この「無」という状態は数か月続いたのです。
過去と現在
社会人2年目に突入すると、「1年前の私」を振り返ることが増えてきました。
「あの時はこれだけのことにめちゃくちゃ時間かけていたな」
と成長を感じることもある一方、
「あの時の私だったら、今発言しているよな、意見言っているよな」
「自分で課題探して行動できているよな」
とも同時に感じていました。
それからしばらくして気づきました。
"目の前にあることを頑張れないやつが他に何をやれるんだ"
ってこと。
どうせ8時間束縛されるなら一生懸命の方が面白いに決まっている。
そう思えました。
それでも今
必死になれない私がいます。
会社における個人としてのミッションなど、私にはどうでも良い。
どうして他人の夢のために8時間費やせるのに、私のために何もできないのか。
そう思えたおかげで、行動の勢いが増しているのです。
明確にこれをやろうというものが湧けば湧くほど、オフィスで座っていられなくなる。
いつまで続ける気でしょうか。
わたし。
行動するの定義
やりたいことが見つかったとき、本を買い、家に帰って読み勉強した気分になります。かつて私はこれを行動できたとカウントしていました。
しかし前回社長に会って思ったのです。
一人以上の人と出会うことが行動するということなのだと。
例えば、お茶を開発したい私が、図書館で本を3冊借りて勉強します。
翌週には別の3冊を借りてさらに知識を植え付けます。
これは行動ではありますが、私の定義する行動ではありません。
(この定義を公にしたいわけではありません。私が私を前に進めさせるための、定義というだけで。)
人に会うと、戻れなくなります。
その出来事がなかったことにならなくなります。
簡単に消せるものではなくなります。
人に会うと次回の約束をします。
先方との約束、という意味だけではなく、自分との約束も含めです。
人に自分を伝えることは、気づきを与えてくれます。
だから次に何をしたいのか、何をしたら良いのかが見えてくるのです。
これを感じたのが、社長と会ったときでした。
自分の夢を抱き、人と会う約束をしたのは初めてでした。
夢という大げさなものでなくても、学びたいことがあったら人に出会いに行く(○○教室なども出会いの場ですね)ことが、確実に前進できる方法であると感じました。
ブログやYouTube、SNSでの発信も、間接的な人との出会いですね。
だから私は毎日noteを綴るし、週1で会いたい人に会いに行きます。
おわりに
この気持ちが年明けまで続くとしたら、選ぶ道はひとつです。
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