反近代楽器としてのリコーダー
リコーダーは古楽器だ。今でこそ樹脂製で廉価なものが学校教育用に大量に出回っているけれど、もともとは18世紀以前のバロック期に栄えた管楽器なのである。
楽器自体非常にシンプルで、近代の木管楽器に備わっている複雑なキーシステムなどはほとんど存在しない。ごく一部のアルトリコーダーや、低音用のテナーリコーダーやバスリコーダーに部分的にあるだけだ。
だから管体に空いている穴を全部押さえて最低音を出すのはなかなか大変だし、音域自体も普通は2オクターブとちょっとぐらいしかない。
音量も小さい。リコーダーは平均的な家庭でも騒音になるような大きな音を出すことはむしろ難しい。集合住宅では気遣いがいるだろうけどね。普通の家庭にあるような楽器でリコーダーよりも音量の小さいものはハーモニカくらいのものだろう。
近代の木管楽器はリコーダーのこうした欠点(美点でもあるのだが)を解消すべく、システマチックに構成されたキーシステムと、3オクターブを超える広い音域、大音量を得ることになった。
サクソフォーンやクラリネット等は言うまでもなく、リコーダーに近い性格のモダンフルートにしても、複雑なキーシステムや広い音域、リコーダーよりは豊かな音量を備えている。
音楽の歴史の中で、19世紀は古典派からロマン派が興隆した時代だが、その時代には、バロック期のようなこぢんまりとした演奏会形式は廃れ、大きなホールで大勢の聴衆に届く大音量の楽器や音楽がもてはやされることになった。
言ってみれば、音楽の大量生産の時代なのだ。その背景には産業革命からの流れの中にある市民階級の勃興もあるだろう。音楽もまた、貴族の愉しみや宗教的な感動を創出するものから、経済的手段の一つにもなるようになった。
こんにちでもその傾向は継続され、コンサートと言えば、大半は大きな音の出る楽器や装置が主体になっている。音の小さなロックコンサートなどは実質的に存在しないのだ。
クラシックの演奏法も変化し、J.S.バッハの時代にはごく普通だった即興演奏も次第に行われなくなり、クラシックと言えば楽譜通りに演奏するのが当たり前になった。大量生産には画一的なほうがいいからである。
そういうことへの反動が20世紀の後半になって顕著になり、アドリブで演奏するジャズが人口に膾炙するようになった。ジャズミュージシャンがよくバッハを取り上げるのには、ちゃんと理由があるような気がする。ジャズもまた、反近代的な要素を含む音楽ムーブメントなのだ。
ジャズは一般に、ビッグバンドを除いては大規模な演奏会場で奏されることが好まれない。小さなホールやライブハウスで演奏されることが多いのだ。
こういう特性はリコーダーの音楽にも通じるところがある。リコーダーはその音量から言って、大規模なホールで演奏されることには向かない。残響音の多い、小さな会場で演奏されることに向いている。石造りの小ぶりな教会堂や、貴族の邸宅の一室などが当時は格好のホールだったのであろう。
リコーダーはこのような性質の楽器であるから、こんにちの普通の演奏会形式にはあまりそぐわないのである。地方都市の一般的なコンサートホールのステージを埋めるアマチュア音楽団体は、多くの場合、吹奏楽やオーケストラである。大音量・大編成の楽団なのだ。
実は昨日もアマチュアの音楽団体が集う市民音楽祭のようなものに足を運んだのだけれど、20近い出演団体の大半が合唱または合奏であって、リコーダーのアンサンブルは1団体であった。
これだけポピュラーな楽器にも関わらず、演奏の愛好者数はあまり多くないのがリコーダーの特長でもある。一つには、「学校でやらされたつまらない楽器」のようなイメージが蔓延しているからであろう。しかしその人がつまらないと感じたのは、多分にその人が学生時代にうまく吹けなかったからなのであって、楽器のせいではない。
リコーダーは、サックスやモダンフルートのように押し出しの強い楽器ではない。知名度に比べると、愛好者数はかなり少ない。ただ、楽器は高価なものでも30万円くらいで、木製の標準的なものは10万円以下で買えるし、ほかの楽器に比べれば、比較的入手しやすいとは言えるだろう。
だからあなたもリコーダーを始めませんか、という気はない。こういう隠された愉しみは、それを知る人だけが愉しんでいればそれでいいのだ。情報によれば、定年退職後に男性が始める楽器で一番多いのがサックスであるそうだ。家の中でそうそう出せる音じゃないけどね。だから中古サックスの流通量も多いのだろう。
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