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追悼とは何なのか

追悼とは何なのか。3カ月あまりにわたって、そういうことばかり考え続けている。

友人の死を知って以来、何かが根本的に変化してしまったのだ。元に戻ることはもうありそうにない。

日が経てば、いろんなことへの意欲も戻ってくるだろうとは思うが、それも以前とは異なった風だろう。

ルドルフ・シュタイナーが言うような「死者への朗読」は、毎日のように続けている。毎日、1時間くらいだろうか。よほど疲れているときとか、旅行中のときとか、気分的に落ち込んでしまったときなどを除いて。

何度か、亡くなった友人は夢の中に現れた。数週間に1度というようなペースだろうか。先日などは、一緒に食事をするところまで鮮明に思い出せるような夢だった。

朗読の最中など、友人が彼岸へ渡って行き、すでに亡くなっている親族や霊的存在に会うビジョンが頭をよぎる。たぶんそれは真実であろうと思う。

ときどき、友人が亡くなってから、そのことを知るまでの何カ月かのあいだの自分の行動の記録などを見て切なくなる。あのとき、友人が亡くなっていたことを知っていれば、別のことをしていただろうと考えてしまう。

そう言えば、最近は友人が好きだったバロック音楽をあまり聴いていない。

亡くなっていたことを知った直後、キーボードでたどたどしくバッハのシャコンヌを弾いていたら、友人が傍らに立った気がした。

有名なバッハのシャコンヌは、トンボーとも言われる死者の追悼の音楽なのだ。追悼がどんなものなのか、千語を費やして語るよりも、この音楽を聴いたほうがいいのかもしれない。


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