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小枝を燃やす(掌編小説)

 ある日彼は、庭の木の梢が二階の窓の高さにまで達しているのに気付いた。これはまずいなと思った。彼が妻と住んでいるのは実家だった。父は数年前に亡くなり、母は認知症を発症して県外に住む妹のところに引き取られていた。以来、彼は家の中を後片付けしようとしてきたが、数年経ってもいっこうに片付かない。自分たちの荷物が増えたわけではなく、両親の不要物を折にふれて処分していっても、なぜか部屋の中が元のようにならないのだ。かえって両親がいたときのほうが部屋が広かったくらいなのだ。
 その状況は庭もさして変わらない。もともと庭の大半のスペースは父が盆栽用に使っていて、その跡が数年経過した今でもほとんどそのまま残っている。鉄骨とスレートで組まれた盆栽台が七つかそれくらいあり、その上に枯れた盆栽や空の鉢が並んでいる。いつかそれは片付けなくてはならないのだが、彼はそのままにしてあった。古い鉢を数十個は処分したものの、あとまだ数百は残っている。
 しかしとりあえず、盆栽台や鉢は増殖することはない。これ以上増えることはないはずだった。が、木は違う。それは地面から生えているので、放っておいても大きくなる。そして今それはかなりまずい大きさにまで育ってしまった。今のうちに何とかしないと、あとあともっと大変なことになる。
 それで彼は木を切ることに決めた。全部切り倒すのは難しいから、自分の背丈ぐらいまでの、幹がそれほど太くない辺りで切ることにした。そのために長い柄の付いた鋸を買ってきた。
 上のほうの枝から順番に切って、なんとか半日で鋸の能力の限界くらいのところまで切ることができた。切り落とした枝は燃えるゴミで出せるような大きさではなかったので、庭と盆栽台の上に転がしておいた。そうやって置いておくうちにやがて朽ちるだろうと思った。初夏になって蜂が巣を作ったりする前に、木を切る作業を終えた。

 それから一年近くが経ち、彼が鋸で切った幹の脇からまた新しい小枝が何本か伸びてきていた。苦々しい思いで彼はそれを見たが、今度切るときは前ほどは苦労しないだろうと思うと、少しは救われる気分になった。
 部屋の中は相変わらずあまり片付いてはいなかった。少しずつ、片付けようと彼は決めて、そのことに春先から着手した。毎日ひとつ、何かを捨てることだと計画して、そのように始めた。
 同じ頃に、彼はキャンプ道具の中からネイチャーストーブと呼ばれる小さな焚火用の道具を引っ張り出して組み立ててみた。もう長いこと使っていなかった。キャンプのときにはもっと大きな焚火台を使っていたからで、すぐに燃料が燃え尽きてしまう小さなストーブは出番がなかった。
 近いうちにこいつを使ってやろう、と彼は思った。

 数日後、庭に出ると、去年切って庭に積んでおいた枝はほとんどが朽ちていた。彼はそのうち道具を使わなくても折って短くできるものを選んで、そうした。小指ぐらいの太さの枝がたくさん集まった。
 彼の家は郊外の軒を接する家のないところに建っていた。ネイチャーストーブで少しぐらい木の枝を燃やしても苦情が出るようなところではなかった。それで彼は小枝をそうやって燃やしてしまうことにした。

 風のほとんどない日曜の午後に、彼はネイチャーストーブを持って庭に出た。ネイチャーストーブは小さいから、近所から目につくこともない。キャンプ用の折り畳み椅子も持ってきて、かつてテラスだった場所で店開きをした。
 燃やしたい枝はバケツ一杯よりも多いぐらい集まっていた。彼はまず、ネイチャーストーブの底の金網の上にティッシュペーパーを1枚敷いた。能書き通りに「ティッシュ1枚で着火可能」かどうかを改めて試してみたかった。そしてティッシュの上に細い枝を選んで何本か置き、その上にもう少し太い枝も立てた。
 ネイチャーストーブの横に空いた穴の中からライターの火を入れると、見る間にティッシュに火が回り、それは細い枝に燃え移って、じきに盛大にストーブに火が入った。
 次々と、彼は枝を火にくべた。火勢が弱くなると、百均で買ってきた火吹きパイプを使って火の勢いを強めた。
 バケツ一杯の小枝を燃やすのには思ったより時間がかかった。すぐに燃料が燃え尽きてしまうと思っていたネイチャーストーブでも、一時間の上かかった。途中で妻が様子を見に来て言った。
「これこれ、火遊びをしているのは誰ですか」
「あなたの夫です」と彼は答えた。
「焚火の匂いっていいわね」
「木を燃やしているからだろう。プラスチックなんて入っていないからね」
「終わったらお昼ごはんにしようよ」
「いいね」と彼は答えた。
 やがて燃料の木の枝は尽き、ネイチャーストーブの底には熾火がたまっていた。それを火吹き棒で吹くとき、うっかり煙を吸い込んでしまい、彼はしばらく咳き込んだ。
 小枝を燃やしてしまったあとには、ネイチャーストーブで燃やせないような太い枝と幹が残っていた。そのうちに新しい鋸でも買って、これもキャンプ場か海岸かで焚火台を使って燃やしてしまおうと彼は考えた。
 生きていると、燃やしたり捨てたりしなければならないものが増える。それはまったく確かなことだ。
 彼はもう一度、ネイチャーストーブを持ち上げて、その中の熾火を吹いてみた。赤いものが輝き、最後の炎が立ち上がった。それを確かめたかのように、彼はネイチャーストーブを地面に置いた。
                               (了)

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白鳥和也/自転車文学研究室
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