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『ポーの一族』に思う

いわずとしれた萩尾望都氏の大傑作である『ポーの一族』。2016年に連載が再開されたときには大騒ぎとなって、当該のコミック誌は重版した。

1970年代に最初の連載が開始されて、『トーマの心臓』などとともに萩尾氏の代表作となった。

もはやコミックの範疇を超え、文学のレベルで語られる作品であると個人的には思っている。プルーストのようでもある。

物語の核心を成すのは、バンパネラ(吸血鬼)の一族である。彼らは齢をとらず、永遠に生きる。もちろん不注意で人間に攻撃され、命を落とすこともあるが、人間のように老化や老衰ということを知らない。

ときどきは一族に新しい仲間を加える。人間をバンパネラにしてしまうのである。すると彼または彼女は、バンパネラ同様に永遠の生命を得ることになる。

『ポーの一族』を最初に読んだのは1981年頃で、まだ私は大学生だった。師匠格の人から貸してもらって読んだのである。そのときすでに基本設定の見事さと、歴史に絡んだ物語の進め方に舌を巻いたものだった。

あれからもう40年以上が過ぎ、私は60代になってしまった。近付きつつある老境を遠望すると、「永遠に生きる」ということの設定が妙に痛い。われわれは残り時間のカウントを考えるような年齢になったのだ。

そして早い人はもう向こう側の世界に旅立ってゆく。つい10日あまり前も、大事な知人の訃報を知った。もういくつもそのことで note を書いたが。

亡くなった人、死者は、ある意味では永遠の生命を手に入れたとも言える。少なくともこれ以上もう死ぬことはないのだ。

だから向こう側に行ったということは、見方を変えれば『ポーの一族』になったということでもある。現世を生きるわれわれもいずれはそうなるのだが、いまのところは彼ら、彼女らとのあいだに簡単には埋められない溝がある。

そんなことを考えながら、ここ数日で『ポーの一族』の連載再開後の単行本、「春の夢」「ユニコーン」「秘密の花園Ⅰ」「秘密の花園2」を読んだ。



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白鳥和也/自転車文学研究室
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