秋は里道
春でも夏でも秋でも冬でも、私は里道が好きなのだけれど、里道のほうでいちばんいい表情をしてくれるのは、どうも秋らしい。
なぜだろう。
秋は確かに紅葉や色づきがあって、柿のように暖色で風景を染めるものもあり、いわば絵画的でもある。
春や夏に比べて空気の透明感も強まり、なにかこう、澄んでいる。
しかし秋の魅力は、どうもそういうことばかりではないようだ。
唱歌の「小さい秋」が端的に表現しているように、秋には必ず一抹の寂しさが紛れ込んでいる。
これから寒く厳しい冬になるという予感。緑だったものが褐色になり、やがてそれも枯葉、落葉になって去ってゆくという変化。
空は高く、遠くなり、手の届きようもないものをどこかで暗示する。
そのような、寂しさや寂寥感や愛惜を匂わせながらも、秋には透明な遠近感も現出する。
一種の諦念のような、哀しみが底に沈んだ、澄んだ水脈のようなものを目の当たりにしているような気になる。
ある種の神秘学的言説によれば、秋は人の意識が最も明るくなる季節という。
意識の明度が増し、その射程が広がるということだろうと思う。
この星の永遠は夏に見え、この星の現在は秋に体験されるような気がしてならないのだ。
秋の底に流れる静かな哀しみは、何かを浄化するための触媒のようにも思える。
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