能楽と和本との出会い
手元にある和本(※)の山には、能楽(能・狂言)に関する記述のあるもの、曲や詞章の典拠となったものが多い。いや、意識して関連したものを収集したというべきだろう。
※有史以来明治初期までに日本で作成された書物(誠心堂書店 橋口侯之介氏)
こんな人はそう滅多にいないだろう。少なくとも自分の周りには一人もいない。能楽好きな仲間は少しはいる。が、和本にも興味があるという人はなかなかいない。
さて、能楽との出会い、そして和本に辿り着いた経緯を紹介したい。
能楽囃子は聴いてみると、実はどこかで聞いたことがあると思う人が少なくない、そして心地よいと思う人が多いだろうと思う。
最近はあまり多くはないような気がするが、大河ドラマでは戦国武将の宴会で催される演能シーンを目にすることがあったからではないだろうか。知らず知らずに刷り込まれていたのだと思う。
ただ、実際に能楽(能・狂言)を自分の意志で観たことがある人は身近にはそういない。残念ながら視聴率の高いテレビ番組で紹介されることもまずない。
かく云う自分もご多分に漏れず、人生も半ばを過ぎてからの出会いである。
ところが、である。
それ以前に英会話学校の外国人講師から歌舞伎の説明を聞いたことがあった。もちろん、歌舞伎は能楽とは異なるが、どちらも日本の古典芸能である。日本で生まれ育った日本人よりも、大人になってから来日した外国人の方が日本の文化をよく知っていることに大きな衝撃を受けた。
以来、日本人なら日本人の伝統芸能を知らなくてはという気持ちを心の底に抱くようになった。とはいえ、怠惰な性格が災いし、なかなか行動を起こすには至らず、さらに十年以上も経ってしまった。
ある日たまたま新聞屋さんからいただいたチケット『観阿弥誕生680年 世阿弥誕生650年 風姿花伝 観世宗家展』が能楽への扉を開かせた。
展覧会に訪れてから日も浅いある時、ふと立ち寄った書店の店頭でこの展覧会を紹介した「芸術新潮」の表紙を飾った能面が目に止まった。何かを自分に語りかけてきたかのように見えた。どんなメッセージと感じたかは記憶していないが、その能面に引き込まれたのは間違いなく、それが直接的なきっかけとなって能楽堂へ足を運ぶことになった。
最初の頃は、よく分からなかった、いや、かなりの時間をウトウトとして、あまり記憶がないというのが正しいだろう。
回を重ねるうちに事前の予習が大事である事に気づき、詞章に目を通し、解説を読んだうえで出かけるのだが、分かる、分からない以前にやはり知らず知らずに瞼が重くなる。実は、能は癒しの芸術ともいわれている。
滅ぼされた平家の武将のように勝者ではなく、敗者や不遇の者にスポットを当てた曲が多い。だが、暗く重苦しいものではない。
基本的に能楽囃子は心地が良い(おそらく、大多数の人がそう感じるのではないかと思う)。能の演者の話を聞くと、イビキをかいて人に迷惑をかけてはならないが、眠ってしまうこと自体は否定しない。
クラシック好きの上司によると、西洋音楽のクラシックも同様に眠っても良いらしく、良い演奏は人を眠りに誘うものらしい。何かと世知辛い世の中に暮らしているのだから、能楽堂で癒されるのは贅沢な過ごし方だとも言われる。
いつの間にか、分かるかどうかという理屈を通り越して心の安らぎを求めて能楽堂に足を運ぶようになったのかも知れない。
音曲だけではなく、見事な装束を見るのも楽しみの一つだろうと思う。いったい何百万円するだろうなどと下世話なことを考えてはいけないかもしれないが、能楽師の家に伝わる唐織や縫箔などの豪華な着物を身に着けて舞う姿を観るのもとても贅沢なことだと思う。演能の間は、どこか別の時空に迷い込んだ気分になるのは間違いない。
観に行くうちに平家物語や源氏物語など典拠となった古典文学に興味を持つようになり、解説書などを安く入手するために神田神保町の古書店街を徘徊するようになった。すると、江戸時代に刊行された謡曲集が予想外に安価で売られているのに気づき、ここで和本を手にすることになった。
驚いたことに古本屋さんの店先のワゴンにも和本を含め様々な書籍が山積みされている。貴重な本がこんなに安くて良いのかと思う。
だが、これだけではない。今やネット社会。サイバー空間を通して見つけることもできる。「日本の古本屋」は全国の1,000件近くもの古書店が参加するサイトで探したい本を検索すれば、欲しい本が見つかるというもの。もはや足しげく神保町に通わなくても、数多の古書を入手可能というわけだ。
さらに、ネットオークションにも多数出品されていて、目が離せない。
ただ、リアルの店先では欲しい本が激安で見つかることもある。そして何よりありがたいのは、実際に手に取ってどんな内容の本なのか、虫食いの状況やヤブレ、落丁など納得するまで確認することができること。また、店主から教えてもらえる情報はなかなか得られないものである。だから、リアル店舗の存在意義は簡単には崩れない。
さて、そうこうするうちに気が付くと和本が部屋を占拠するようになった。
購入した和本は江戸期に刊行されたものが大部分を占め、無刊記本は恐らく江戸期から明治期のもののようだ。
百数十年から四百年ほど前の書物になるため、当用漢字以外の文字が案外多く、初めて目にする文字が頻出する。そして音は合っているものの、現代とは別の字を当てている漢字も少なくないので、さらさら読める人はなかなかいなはず。
さらに難敵なのが崩し字である。現代の小学校では、「あ」と読ませるひらがなは「あ」しか教わらないが、寺子屋ではそうはなかったはずである。「阿」や「安」、「悪」などいくつもの崩し字の「あ」が存在する。小学校でこれらを指導しようとしたら、何年かかるだろうか。文明が発達していたとされる西洋でも当時の識字率は日本ほど高くはなかったといわれるが、これほど難しい文字の習得は現代のわれわれから見てもかなりハードルが高い。
江戸時代に庶民が書物を読むことができたのは、長く続いた天下泰平の世の恩恵だろう。文化が花開くのは、平和があったればこそではないのか。いまだに無くならない世界の戦乱が1日も早く収束することを願ってやまない。
ところで、和本には物質面で手ごわい相手もいる。和本を食べてしまう虫の存在である。和紙を好物とするシバンムシなどである。どうやら、明治期以降国内で普及した洋紙はあまり好まないらしく、和本で見かけるばかりである。手元にある和本をみると虫食いの痕跡が全くない本は皆無ではないかと思う。長い時を経てきたので大概は古いものほど、虫食いはひどく、穴だらけで文字が読めない箇所も当然出てくる。
では、難読で面倒くさい和本の何が魅力なのか。
何百年も前の人が手にし、読んだ同じ本を博物館で見るのではなく、現代に生きる自分が手にしていることへの感動ではないかと思う。刊行された当時だけでなく、その後たくさんの人の手に渡り、その時々でどのような人が読み、どう感じたか、想像するだけでもワクワクする。
和本には、刊本と呼ばれる主に木版印刷のものと、手書きの写本がある。刊本は、版木を刷って製本するので部数を多く販売することが可能である。中には、合戦の細かい描写の挿絵がある絵入の本もあり、視覚的に楽しめるものもある。一方、写本は文字通り1文字1文字書き写すので、気が遠くなるような長い時間と集中力を要する作業である。現代人からは、とてもペイしないのではないかと思われるが、当時はいったいどうなのだろうか。どのような思いで作業したのだろうか。
いずれにしても、後世に残したい貴重な資料であることに間違いはない。と同時に、ただ資料として保管するのではなく、活用したいものである。
そこで、画像を用いながら、能楽好き目線で読んだ和本を紹介したい。
これから、少しづつアップしていきたいと考えているので、見ていただいた方が少しでも能楽と古書に関心を向けてもらえたら幸いである。