「市のすべて」を収蔵する 豊田市博物館
「みんなで作り続ける博物館」
これは、豊田市博物館のコンセプトだ。
豊田市博物館は、その名の通り愛知県豊田市にある博物館。
2024年4月に開館したばかりの博物館で、これまた新しい、非常にユニークな展示があったので、紹介したい。
この博物館の一番の特徴だと思うのは、「みんなの記憶カード」という展示だ。これは、市にまつわる思い出を、市民や市にゆかりのある人が自由にカードに書くという試みらしい。展示室内にカードを記入する机があり、来館者なら誰でも(多くは匿名)書くことができる。記入したカードは、後日展示室に掲示されるのため、他の来場者もカードの内容を自由に読むことができる。
掲示されたカードをみると、子供の頃のちょっとした遊び、通勤バスの苦労、災害時に避難の苦労、駅前の店のコロッケの味など実に様々な内容が書かれている。こうした一市民の思い出を、「博物館」が収集するのを、私は初めて見た。
一般的に、博物館という場所は、学術的な成果を展示する施設だった。「学術的」とは、世界という複雑で混沌としたものを整理し、わかりやすく説明してくれるということだ。私たちは、そういった「学術的」な展示を見て、世界の一端を理解し、知的好奇心を満たすために博物館に来ているといって良い。
だが、そんな「学術的」な展示に、とっつきにくさ感じる人もいる。
自分の住む市に馴染みあるモノのはずなのに、自分とは遠いもののように思えたり、理解できないものだと感じる。
それはなぜだろう?
それはおそらく、「学術的」な展示には、共感のきっかけが抜けているからだと思う。子供の頃に遊んだ川の水の冷たさ、仕事上がりにコロッケを買ってかじる時の満足感、災害から逃れ歩いた道のぬかるみ。そんな、「個人的な」ささやかな思い出こそ、近い経験をしていた人の記憶と共感のきっかけとなることも多い。ところが、「学術的」な展示には、「個人的な」情報は抜け落ちやすい。そのため、「個人的」な思い出や感情が抜け落ちた「学術的」な展示を見ても、共感しにくいのだろう。
豊田市博物館は、「個人的」な情報も残らず収集しようと試みている。カードを読んだ人が、自分の思い出も書き残し、またそのカードを他の誰かが見る。匿名で井戸端会議をしているかのような、緩やかな主観的世界もまるっと収集しようというのだ。
豊田市の「学術的」も「個人的」も「全て」集め、未来に届けよう博物館の試み、将来どうなっていくのかウォッチしていきたい。