【読書録】見届けて、語り継ぐ『これやこの』
落語の舞台には、一段高い台があり、緋色の毛氈が敷かれている。
その台を、「高座」というそうな。
今回読了したのは、
『これやこの サンキュータツオ随筆集』
著:サンキュータツオ
漫才師「米粒写経」の片割れで、東北芸術工科大学文芸学科で専任講師を勤める著者の随筆集である。
どのエッセイも素晴らしいのだが、、今回は表題作の「これやこの」を紹介しようと思う。
芸の道を極めようとする落語家と、それを支える人たちのお話。
落語を、若い人に向けてひらく
著者の活動の一つに、渋谷ユーロスペースで定期開催される「渋谷らくご」のキュレーターがある。
渋谷らくごは、落語を知らない若い人を対象にした「初心者向け」の落語会だ。
玄人客向けの会がほとんどであった落語業界にとって、初心者向けイベントは「正気の沙汰ではない」とすら言われていたという。
しかし、多くの落語家の協力とスタッフの尽力によって、「渋谷らくご」は開催され、少しずつ軌道に乗り始める。
そんな矢先、渋谷らくごを支えてくれた落語家、柳家喜多八師匠が末期癌であることが判明する。
喜多八師匠は、60代後半。
これから芸の極みを目指そうという集大成の大ベテランに、死が迫っていた。
キュレーターの決意
癌に蝕まれた師匠の体は日に日に痩せ細り、杖なしでは歩くこともままならない。
それでも変わらず、落語家として高座にたつ。
死を前にしてなお、芸を極めようとする。
自力で歩くことも、座っていることも苦痛な体になっても、なおも高座にあがり続ける。
興行に穴を開けられないというキュレーターとしての立場、長年お世話になった師匠を労わりたい気持ち、安静に過ごしてほしいと願う落語家の家族の思い。
様々な思いを受け、悩み、著者は決意する。
師匠から「辞めます」と言われるまでは、出演の場を確保し続ける。
芸の極みを追い求める師匠のために、最後までより良い舞台を整え続けたキュレーターのお話。
芸は語る
本書の冒頭で、著者は「落語業界と落語ファンを心底憎いと思った時期がある」と語っている。
その経緯は詳しく語られてない。
落語という芸を深く愛していたからこそ、既存ファンとの繋がりで満足する業界の狭さに憤りを感じていた、のではと個人的に思っている。
落語の未来のために、若い世代に聴いてもらわなければならない。
その思いで初心者向けの落語会をひらいた著者の前で、病魔に冒された師匠が、生まれて初めて落語を聞く若い客に、芸の極みを披露する。
師匠は、何を思って高座にあがるのでしょう。
著者は、どんな思いで師匠たちの芸を聴いたのでしょうか。
私には想像することしかできません。
見届けて、語り継ぐ
私は、サンキュータツオさんの語る言葉が大好きで、何年も発信を追いかけている。
タツオさんは、「見届ける」と決めたものへの熱量が半端ない。
緻密に観察し、語られぬものを読み取り、世間が関心を失った後も忘れることなく、語り続ける。
タツオさんの熱量に、飽きっぽい私は、いつも居住いを正されるような思いになるのです。