ゼリーの印象、世界の見え方 396
住んでる島の地域はまだ梅雨明けしていないのだけど、そんなことは関係なく連日家の中でも30度を超えるような気温が続いている。
本当に毎年「どうやって去年切り抜けたっけ?」なんて思うけれど、今年も世の中夏休みが始まったばかりだというのにすでに暑さに満腹感を覚えつつあって、秋までの道のりがさっぱり思い描けないでいる。
そんな中、いよいよわたしも「大人になったな…」と感じる出来事があった。
それは何かといえば…ゼリーへのイメージが肯定的になったこと。
別に「反ゼリー」を掲げて暮らしていたわけじゃない。
小さい頃は、粉にお湯を入れて溶かして作るやつ(ゼリエースだっけ?)よく作っていたし、あのいかにもメロン!やイチゴ!みたいな既製の味に惚れ惚れしていた。
でも、それ以降のわたしの中での「おやつランキング」でゼリーは長らく上位にいなかった。
というか、他のおやつの種類がどんどん自分の中で増えていったことも大きな要因ではあるけれど。
そんな中、つらつら考えてみると…
まず、冬に食べたくなることが少ないから物理的な出会いが少ない。
もちろん、スーパーに行けば年中見かけるから「みんなどのタイミングで食べてるんだろう…」と不思議に思っていた。
年に1〜2度ナタデココ食べたさにナタデココゼリーなるものを手に取ることがあったけれど、この後に及んでも「なんでナタデココの単体が無くなったのさ?」とゼリーであることへの若干の不満を抱えていた。
春先からはグッとゼリー味というか透明感のあるものたちが増え始める。
特に和菓子屋さん界隈での透明度出現率は高く、そして美しい。
作られていく様には本当にうっとりするし、出来上がったものの美しさたるや「本当に食べていいん?っていうか、どこから食べていくか迷うやん…」みたいなココロでいる。
さっきもとらやさんのインスタで、練り切りの金魚が新緑のもみじの葉と一緒に透明の寒天の中を泳いでいる夏の和菓子を見て「はぁぁぁ」と悶えていた。
そう、美しさというかその佇まいはストレートに好きなのだ。
なのに食べるとなると…同じようなテンションでいられない…。
これが自分でも謎だった。
例えば、あんみつなんかでコロコロの寒天とフルーツ、そしてドーンとあんこがあると…おいしい、そしてうれしい。
じゃあ、あんこが寒天に溶けて水羊羹になったら?
…ん…夏だからって溶かさなくていいんじゃない?なんて思っていた。
夏でもとぅるんとしたものばかりじゃなくていいじゃないか!と。
とぅるんの舌触りで本当に涼しさはくるのか?と…←無粋だな…
でも、寒くなってからの、というか一年中羊羹は好きなんだよなぁ…
何?あんこの濃度の問題?いや違う…って、余計こんがらがってきた。
そんなわたしの中で風向きが変わり始めたのは昨年の夏から。
頂き物のゼリーや水羊羹がどうしても増えてくる夏。
そして、自分の好みを優先してどんどん取り残されていくゼリーや水羊羹…。
そんなある日、どうにもこうにも暑くて渋々冷やしていたゼリーをいただいてみたら…(←失礼)
「甘くておいしい…冷たくてうれしい…っていうか食べやすい」と今更ながら感知できたのだった。
そうして昨年の夏はいつにも増してたくさんのゼリーや水羊羹をいただいたのだけど…さぁ、今年の自分はどうなのよ?と思っていた。
ちゃんとおいしさを感知できるのか?
はたまた「やっぱりおやつとして頼りないよー」みたいなことを言いだすのか?
結果…今年もおいしく感じ、うれしくしていただいている。
はぁ…こんな日が来るんだなー…なんて、勝手にしみじみしちゃう。
よくよく見ればシンプルな材料で作られているものも多いし、見た目も一役買っていることも愛される理由としては十分…
って、これ単に「よく知らなかった」ってことでもあるんじゃない?なんて思う。
「興味がない」「好きじゃない」を「興味を持てない・持たなくてもいい」「知らなくていい」「見なくていい」に勝手に変換して、勝手に自分の世界を狭めるみたいな…。
ゼリーひとつでおっきな話になっちゃったけど。
「知る」というか、体験に近い「知る」ことから見えてくる世界って思った以上に感覚を広げてくれるものなのかもしれない…と夏の初めに感じたのだった。