新卒の営業が4ヶ月で適応障害になるまでの話(前編)
こんにちは。
プニプニしりプニオです。
今回は前職で適応障害と診断されるまでを
書いていこうと思います。
適応障害かも? と悩んでいる方や、
診断を受けた方に情報提供できればと思います。
どんな症状だったかのみに興味がある方は、
「まとめ 個人的な適応障害の症状」に移動すれば
箇条書きで見ることができます。
就活を終え、新卒社会人に
私は今年の4月から7月末まで、
新卒で広告代理店の営業として勤務していました。
広告業界に携わることを夢見て就活し、
50社くらい受けてようやく受かった会社でした。
入社し1ヶ月で新人研修を終え、
看板広告を営業することになりました。
1年目は飛び込み営業のみで営業を行うことを、
その時初めて伝えられました。
飛び込み営業の洗礼
同期は色んなエリアに散り散りになり、
私は1人、とある地方都市に配属されました。
営業エリアは先輩方が営業していない地域で、
やや田舎のエリアを毎日ひたすら歩きました。
平均2万歩、3万歩を超える日もざらでした。
コロナ禍が明けつつあったとはいえ、
アポ無しの訪問に対する風当たりはとても強く、
怒られたり無視されたり笑われたり、
門前払いがいちばん嬉しく感じる状態でした。
1日20件以上回らないといけなかったので、
歩きながら昼食を食べていました。
(チョコチップパンがいちばん食べやすかったです)
減らない資料でずしっと重たいカバンを抱え、
酷暑&スーツ&マスクのコンボで汗だくになり、
靴擦れでストッキングを血だらけにして、
キューピーコーワヒーリングと休足時間のみで
延命に延命を重ねていました。
指導担当も自分の業務に追われ、
1日10分話せればいいほうでした。
助言は精神論のみで、
闇の中で裸眼で探し物をするような日々でした。
症状のあらわれ
最初はなんとかできていたのですが、
徐々に声が掠れ、話したいことと発声にラグが
生まれるようになりました。
関係性は不明ですが、同時に首のリンパ節が腫れ、
低い声しか出ないようにもなりました。
また、好物、趣味、好きな音楽、友人、家族など、
全て興味が失せました。
その頃好きなアイドルが引退したこともあり、
週末はゴミ袋2〜3袋程度の断捨離をしていました。
同時に元々あったセルフネグレクト気質が災いし、
前述した頻繁な断捨離に加えて、
仕事中の昼食がパンからウイダーへ変わり、
最終的には何も食べずに過ごすようになりました。
研修会での心境の変化
2ヶ月くらいして、全国各地に散り散りになった
同期が集まる研修会が開かれました。
同期の多くが飛び込み営業以外に、
電話やメールで営業をしていることを、
そこで初めて知りました。
また、同期の何人かが初受注を決めたことも、
そこで初めて知りました。
初受注のきっかけを聞いても、口をそろえて
「タイミングが良かっただけだ」
と言っていました。
私はますます真っ暗闇にいるような感覚になり、
目の前がカイジみたいにぐにゃあっ、としました。
周囲の変化、自分の限界
この研修会を境に自分だけ飛び込み営業のみで
営業することに疑問を抱くようになるとともに、
指導担当が焦り始めました。
この1ヶ月で必ず決めてこい、と指示が出ました。
疑問は、誰に聞いても「新人だから」という
回答しか貰えず、解決しませんでした。
感じていた闇は日に日に濃くなり、ある日の朝に
ぷつりと糸が切れたような気分になりました。
漠然といなくなりたいな、と思いました。
なにもないのに、泣くようになりました。
ついに疲労がMAXなのに眠れなくなり、
ここで自分が限界だと気づきました。
それから昼休憩に精神科やメンクリに電話し、
すぐには見て貰えないことに絶望しました。
(精神科やメンタルクリニックの初診は早くても
数カ月待ちということがざらにあり、時間の枠も
限られていることが多いのです)
そこから2週間後、奇しくも仕事中にパソコンで
新規開院の情報収集をしている際に見つけた、
新しいメンタルクリニックで予約が取れました。
まとめ 個人的な適応障害の症状
・き声帯に関する不調
・対外的なものに対する興味の薄れ
・ご飯抜き、過度な断捨離などのセルフネグレクト
・不眠
・漠然とした希死念慮
・涙のコントロールがきかなくなる
おわりに
その後病院へ行き適応障害と診断されるのですが、
詳しくは後編でお伝えできればと思います。
前編を振り返り、最後に一言。
衣食住の削りは心の削りと同義です。