夜田わけいの豊衣足食 2月号
【近況】
最近はもっぱらSFファンジンのコンテストに出す作品の執筆に時間を充てています。
今年こそは正賞を狙いたいと思っています。
蟲医の方はその関係でしばらく執筆をお休みしていますが、いずれは完成させる予定です。
【素敵なライフハック】
MacBook Airの「システムデータ」が溜まっていて困っていた。セーフモード起動してもなかなか減らず困っていたところ、Appleサポートの方に教えてもらったのが、control+shift+.で隠しフォルダを表示して、ユーザーフォルダ内の容量の多いデータを消していくというやり方で、これは非常に役に立った。Appleサポートに、困ったら色々教えてもらうといいよ!
【蟲医概察】
蟲医が可能であるかという問いには明確に、すでに実践されている部分がある(養蜂家のための蜂を診る獣医がいる・蚕学がある)という点と、まだ途上の部分がある(昆虫の膨大すぎる分類と治療技術の確立には至っていない)という点を説明しなくてはいけないだろう。つまり半分はSFで半分は現実だ。
このことは、私が蟲医を書き始めた当初はまだあまり私にもよくわかっていなかった。書き始めてから関係者から情報が集まり、理解が進んだ。現実に自分が追いついてからは、自分の小説は技術目標というよりは、SFの分野のひとつであると自信を持って表明できるようになった。
ただ、同時にその結果として、蟲医は当初書かれた技術的な意匠を追究する現実の科学的姿勢からは乖離していき、蟲医的な技術要素を取り入れつつも、内容的にはキメラ的なキャラクターを前面に押し出した小説に変わっていったと、自分では概観している。
結果、虫のお医者さんの話なのに治療の話よりキャラクター絵や、シュ永デ琳宮国内の政治の話が多い小説になってしまった。虫を治療する医師の活躍ではなく、虫の治療や昆虫憲法のために政治が動いて様々に世界観が変わっていく。世界観は虫を中心とした国家観に対する皮肉のような様相を呈する。
蟲医を書き始めた当初、蟲医がいないのは政治のせいではないかと考えて、色々策謀もしたことがあったが、今では現実の科学と近い部分と、そうでない部分は明確に分けて考えていて、実現されている部分については可能な現実と、そうでない部分についてはSFと、区別している。
蟲医を書き始める前には、マタベレアリのような虫を治療する虫の存在を私がまだよく知らなかったので、こういった点の発見も大きかった。
これはあくまで専門家でない者としての印象だが、蟲医というSFと思っていたものが半分は実現化されているこの日本社会は、すごく虫に対して好意的で良い社会だと思う。ただし、蟲医を実現させる研究が本格的に出るにはもう少し技術的ブレイクスルーが必要かもしれないとも感じる。
とはいえ、応用昆虫学を齧った身としては、基本的に農業技術の応用は害虫の駆除という「虫を殺す技」の開発に注力されていることを考慮しても、根本的な価値観の転換が必要という可能性も否定できない。
【おすすめ本】
サバハッティン・アリ『毛皮のコートのマドンナ』
大同生命国際文化基金の電子書籍になっている翻訳作品。
枠物語になってて、前半は主人公とラーイフの出会い、後半でラーイフの記録が語られます。トルコのラーイフがドイツで大恋愛?! という異国情緒あふれる物語です。
共感ポイント
・トルコからドイツに行って恋愛する話が、私がカナダで恋愛したときの経験に似ている気がした。
・構造が枠物語で、夏目漱石の『こころ』に似ている。影響が多少あるのかも。
・トルコとドイツという、一見すると異郷のような感じのする飛躍ある土地がつながり、トルコに手紙を書いても大丈夫なように返信用の封筒を手紙に入れる丁寧さがあったり、文化的な背景もわかって想像力を掻き立てる。
・ラーイフ可哀想。でもマリアが一番可哀想。マリアは幸せだったのか? マリアに幸せな感情はあったかもしれない。でもこの二人はどちらも可哀想。言語の壁、民族の壁を超えた恋で、報われなさがほろ苦い。
・深読みのしすぎかもしれないが、主人公の病気、マリアの病気も、何かしら当時の社会的な背景(性病?)とかに関係があるのかもしれない。
・異国情緒溢れる物語(そりゃまあ、トルコの小説だからそうなる)なのに、何故か自分ごととして読めてしまう不思議な普遍性がある。結末が悲しい。
『理科と算数で検証したら、わかってしまった昔話の真実』(日本のお話編、世界のお話編)
柳田理科雄先生の本。オトギハカセの姿を借り、登場人物の男の子(ヨシト)と女の子(カンナ)と一緒に、理科の知識を使って、昔話のあれこれ謎を検証していく。
「かぐや姫は、竹だった?」かぐや姫の時代(平安時代)には、日本で今一般的な孟宗竹《モウソウチク》はなく、当時から存在した破竹《ハチク》、真竹《マダケ》なら子どもが入れるので、それではないか。また、かぐや姫の成長スピードは竹と同じぐらいでは(だから3ヶ月で年頃の娘に成長した)、という話があったり。
ラプンツェルの髪の毛は、滑車を使えば楽に登れる、また髪の毛は1本でも100gぐらいの重さを支えられる、という説が展開されていたり。ラプンツェルの髪の毛は計算上15tの重さを支えられるそうです。
理科の考え方を使っているのでかなり子どもにも良い話が多く、SF作品に応用できそうなアイデアの宝庫にもなっています。大人が読んでも楽しめる。うさぎとかめの話で、うさぎは9時間ぐらい休んでいたとか、かめはうさぎが夜行性でかめが昼行性だからそれを利用したという話があったりして、勉強にもなります。
個人的にもうちょっと読みたかったところとしては、七夕の話で、織姫と牛飼が136兆8千億㌖離れていて、牛飼いの牛車は時速約9兆4千億㌖で走る、というところで、さらっと「光以上の速さだと、時間を超えたり戻ったりできると考えられています」と書かれていて、子どもがそこに触れると難しい相対性理論とかの物理学が必要になってくるので(光速度一定の原理とか、アインシュタインとか、時間の歪みとか)、ここだけちょっと物足りない感じがあります。子ども向けの解説書だからまあ仕方ないところもある。この前の伏見さんの宇宙人に会う本とかみたいな感じの説明が必要になってきそうですね。
それはさておいても、カブはてこの原理を使えば楽に抜けるとか、一寸法師は筋肉ムキムキとか、おもしろ科学が展開されています。
魔法やファンタジーで片付けられるところを、あえて片付けずにみっちり科学の知識で検証していくというところがとても面白い。なんとなくですが私の性格にも合っています。
ちなみに著者の柳田理科雄先生の理科雄という名前は、本名だそうです。理科の人でよかった。
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